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【街歩き】飯田橋 九段下 界隈

勤めている会社の東京事務所がこの近辺にあり
4年前までは私も東京勤務だったので
このエリアは馴染みがある。
ただ、東京にいる時は街の歴史等、大して興味もなく、ただ毎日あくせくと通勤していただけの土地だった。

また私自身当時は東京という街に馴染めなかった。
年齢がいってからの単身赴任ということもあり
すでに住んでいた関西エリアとの比較をしては
「関西の方がええな」と一人ごちて毎日をやり過ごしてきた。

ここ最近は月1回くらいの東京出張
少し離れてみると東京の良さも見えてくる。
なのでこのエリアについて拙いながらも書いてみた。

飯田橋 九段下は周囲を西に本郷、北に小石川 東に九段の丘陵地に
囲まれた低地。南は皇居へと広がる。
いわゆる下町だ。西の本郷を越えるとふただび下り坂となり
下りきった先が神田。
下町とは庶民的な街ということだけではなく、本当に低地に位置しているのだ。

終戦当時牛込に住んでいた昭和の天才(私は本当にそう思う)
小説家 色川武大は『怪しい来客簿』にこう書いている

ある日の夕方、飯田橋に抜ける都電道のだらだら坂を私が歩いていくと、

突然、向こうから踊るような格好で歩いてくる婆さんに出会った。

ほんの咫尺(しせき)のところで気付き、あっというまにすれ違ったが

婆さんはなンだか腹の底が鳴るような声で唄いながら歩いており、

私の方には視線をよこさなかった

『怪しい来客簿』色川武大 文春文庫 『空襲のあと』より

坂を下る作者が坂を登ってくる昔から知っている老婆に遭遇した場面を
描いたものだ。
やはり飯田橋は坂の下の街なのだ。

ただその地形は一様ではなく、写真のように様々な凹凸があり

このような箇所がいくつもある

街独特の風情を醸し出している。
こういう場所を黄昏時にぶらぶらと散歩してみたかった。
今となってからは遅いが、本当にそう思う。

飯田橋の坂の途中にある東京大神宮

佇まいが素晴らしい

伊勢神宮と同じ天照皇大神と豊受大神を祀る神社。「東京のお伊勢」さんと呼ばれている。都心の神社らしく端正に整備された美しい神社だ。

外国人の方も多数

縁結びの神社としても有名で、訪れた日も
若い女性の姿が多く見掛けられた
皆さん、良縁に恵まれますように。

参道を少し下がったところにあるのが
「時代寿司」だ。
私はこのお店の和やかな雰囲気が好きで
東京在職時代はよくランチで利用させてもらっていた。
私のお勧めは「ばらちらし」

具が満載

沢山の具材を載せ、食べ進めるうちに様々な食感や味が楽しめるのが嬉しい
卵、かまぼこ、明太子 マグロ ハマチ、イカ、とびこエビ などなど。
満足度の高い一品。

坂を下り通りに出てしばらく南に歩くと
九段下。
西の坂の上には左手に日本武道館 右手に靖国神社だ。

今まで何気なく前を通っていた九段会館。初めて中に入ってみた。

ビルの中に佇む

九段会館は旧称は軍人会館  
1934年竣工の建物だ。
2.26事件の際にはここに戒厳令本部が置かれた
戦後GHQに接収されたが、1953年接収解除後に日本遺族会に無償貸与。
結婚式場、宴会場、ホールを備えた会館となるが、2011年の東日本大震災の際天井崩落のため2名の死傷者を出し廃業。
2022年「九段会館テラス」として再開業した。
国の登録有形文化財となっている。

エントランス正面
細部まで流麗な衣装が
歴史の厚みを感じるエントランスホール

軍人会館当時の重厚さと様式美を今に伝えるいい建物だ。
帝国陸・海軍は現在の歴史解釈においては負の側面で持って語られることも多いが各地に残る旧軍の施設は歴史的に見ても価値の高いものがあれば多く、もっと評価されてもいいのではないかと個人的には思う。

隣の皇居のお濠端の景色も素晴らしい。

九段会館から歩いて数分のところにある
ラーメン店「二階堂」は私の好きなラーメン店だ。
東京勤務時代、まだ朝の早い時刻から店主さんが黙々と開店準備をされているのを横目に見ながら出勤していた。

普段は醤油ラーメンを頼むことが多い

あっさりとした中に確かなコクを感じさせるスープ。もちもちとした食感のやや太めの麺も素晴らしい

寒くなってくると味噌タンメンが美味しい。

味噌ベースのスープに太麺、もやし、にら 
ネギ 生姜の組合せが最高

平日のお昼時になると行列ができる人気店なので、このお店に行く時は11時半までには、入るようにしている


九段会館の前に東京都が設置した「九段1丁目」の歴史を解説したパネルがあった。


読めばこの場所は『南総里見八犬伝』『椿説弓張月』の作者である滝沢馬琴の住居があったところ。
寄稿されていた作家の京極夏彦さんの文書が素晴らしいので引用させていただく。

(この場所が滝沢馬琴の住居があった場所であることを受けて)
(前略)
だからどうだと謂われてしまえばそれまでである。現在のこの『場所』にたぶんそんなことは関係のないことである。
それでもそうした古事来歴は、平面の地図上に幾許かの高さや深さを与えてはくれる。『場所』は必ずしも過去時間の呪縛だけで
成り立っているものではないけれど、ここがそうした「場所」だったという記憶を記録に転じて示しておくことも、そんなに悪いことではないように思う

東京都 江戸開府400年「九段一丁目」「九段1丁目と曲亭馬琴」京極夏彦著 より引用


深く納得し、感銘を受けた。私たちが暮らしている、働いている、遊んでいるこの街は過去からの継続の中にあり、その折々の軌跡を知ることは決して無駄ではないはずだ。

私もそんな思いを抱いて、これからも街歩きを続けていきたいと思う。

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