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藤田美術館の新たな歴史が始まる

木々の向こうにみえる白い箱体は、今年の4月1日に
リニューアルオープンした藤田美術館。元の建物は
1954年、明治時代に活躍した実業家の藤田傳三郎氏
により藤田家邸宅の蔵を展示室として作られていた。

ここには国宝指定された瑠璃色に輝く「曜変天目茶碗」
3碗の内の一つが所蔵されている。美術館の収蔵品
(内、国宝9件、重要文化財53件)は約2000件にも上る。


公園側の入り口はサブエントランス。公園とのつながりがよい
青い空に白い壁が眩しい。建物は庭園の背景になる
庇を支える柱の細さは、デザインへの繊細な気遣いだと思う
入り口はガラスで作られ、存在感が抑えられている
幅約53mの大壁は左官仕上げである

藤田美術館に、左官職人の久住有生氏による左官仕上
がある。とくに、この入り口正面のメインの巨大な壁に
ついては腕のいい職人を集めて練習し、10人で同時に
作業されたという。呼吸を合わせて塗り進める中で1人
でもリズムが狂ったりミスがあると、下地からやり直
すことになるという。これもまた作品でもあると思う。

ベンチには旧美術館の梁材が使われていたり
展示室への入り口は旧美術館の扉も利用されている

パブリックスペースの床仕上げはタタキ仕上げ。当初
は石張りであったという。硬さの中に柔らかさが意図
されている。優しげな色と質感が心地よさを作りだす。

茶屋のデザインもシンプルで、美術館と調和している
ベンチも建物のデザインと調和するシンプルなデザイン
カウンターも久住氏の左官仕上。質感の切り替えがおもしろい
カウンターには炉が切られている。わびさびを感じる納まり
だんごセットはお抹茶で。味のあるうつわで美味しく頂く
こちらが正面入口。シャープな庇が特徴的である
日差しを避ける庇は空へとせり上がり、空間に開放感を与える
庇のパネルの目地は15mmから3mmに。連続性へのこだわり
石が土間床と同面で納められていたり
溝の蓋も石で加工されていたりもする
内外の仕上げは、ガラス越しに連続したようにつなげられたり
コーナーをすっきり見せるため、溝はL型に加工されたり
床の点字が、タタキでつくられていたり
床のコンセントの蓋もタタキ仕上げになっていたりもする

建物の随所に、細部にまでこだわられた納まりがある。
「設計はしますが、建物は造りません。建物じゃないん
です、これは。美術館は美術品を展示するための装置
ですから、建築はでしゃばってはいけない。存在を消す
ようにしようと考えました」とこ設計者の思いがある。


藤田美術館の建設は設計施工のコンペで、大成建設
株式会社が選ばれた。大成建設の前身の大倉組商会は、
明治20年に藤田傳三郎と渋沢栄一氏と共に、日本初の
土木建築業の「日本土木会社」を共同設立したつながり
を持つという。その深い関係に歴史の重みを感じる。

そして提案書は、歴史の重さを表現するため、黒い表紙
には金文字、帯に年表をつけて製本されたものだった
という。建物の設計以前のストーリーを、どのように
演出するか。提案は、建物以外の所から始まっている。



美術館はプレオープン中で、展示室を見学することは
できなかったが、その分、建物を楽しむことができた。
公園との間の塀をなくすことを、行政と粘り強く交渉
されできた、公園と連続する気持ちのよい空間もある。

ここには建物内外のいたる所にこだわりがある。色や
仕上げは実用性やメンテナンスだけで、決めるのでは
なく、その色や仕上げを選んだことによってできる
空気感や雰囲気が大切にされている。それらの仕上げ
が建物とともに、どのように時を刻みながら、建物に
なじんでいくのか。何度も訪れたいと思う建物である。

こうして、大阪への帰省もあっという間に終わって、
博多までとんぼ返り。いろんな場所で、いろんな人たち
のこだわりがあり、それらが街や風景をつくっていく。
また新しいであいを求めて、ぶらりと街に繰り出そう。


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