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長崎でつながる祈りの地

軍艦島ミュージアムのすぐ側の坂を上れば白い外壁の
天主堂の姿が見えてくる。1864年に建設され、1879年
に改築されて今の姿となった大浦天主堂。この建物の
正式名称は日本二十六聖殉教者聖堂といい、西坂で
殉教した二十六聖人のために建てられた教会である。

次は坂を上り長崎居留地の南山手地区へ
坂の先にそびえる大浦天主堂は
長崎の世界文化遺産の構成資産の一つ
そして信徒発見の地となった場所。その横にプチジャン神父
ここは250年の長きに渡り、信仰を守り続けた
キリシタンの存在が明らかになった場所
大浦天主堂は日本最古の教会建築で

日本二十六聖人に捧げられた天主堂でもある

天主堂は1879年に改築されて漆喰姿の白い姿に
美しいリブヴォールトの天井。写真はここまでに
マリア像と空。長崎に点在する祈りの地を巡っている
天主堂の隣には1875年に建設された旧羅典神学校は
禁教が解かれた後、司祭育成の場となった
通路の先にある入口へと向かう
その建物は現在はキリシタン博物館として利用され
木造建築として国の重要文化財にも指定されている
内部の展示と連なる建物の風景を楽しんで
大浦天主堂の瓦で葺かれた屋根やバラ窓もにも目を止める
見返すと坂の上に建つ大浦天主堂には長崎の風景が広がる
もと来た通路を戻り、北側に建つ旧長崎大司教館へ
現在の建物は1915年に再建された木骨煉瓦造りのもので
現在は、こちらもキリシタン博物館として利用されている
高低差のある敷地に建つ建物。2階の入口から1階の出口へ
そして大浦天主堂と周囲の風景を楽しんだ

拝観順路のページで大浦天守堂の詳細も

大浦天主堂を後にし
上ってきたグラバー通りの風景を見下ろして

大浦天主堂は信徒発見の奇跡の舞台に

大浦天主堂の成立がよくわかる動画も

大浦天主堂は1933年に日本で初めて、西洋建築として
国宝に指定されるも、1945年、爆心地から直線距離で
4kmの位置にあったその建物は甚大な被害を受けた。
建物の崩壊はまぬがれて、その後5年の歳月をかけ
1952年、修復が完了し再び国宝の指定を受けている。

1597年に西坂の丘で殉教した26人の聖人に捧げる
教会堂として建設された大浦天主堂は、1865年に
信徒発見の奇跡の地となった。二十六聖人の祈りは
後世へと届いたのであろうか。そしてまたこの教会
で捧げられる祈りも未来とつながっていくことを
願う。長崎の旅は、祈りの地をめぐる旅でもある。
長崎に流れる歴史と風景を感じる旅を続けよう。

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