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改めて「高校」という存在を考えてみた

中高一貫教育の学校にいながら、ややもすると説得力のない話になってしまうかもしれないが、6年間をどう区切るかという議論も含めて、「中学」と「高校」では「育てるべき力」が違うように思う。

中学は「独り立ちできる力」、つまり自分軸をしっかり持ち「自分で考え、決め、行動できる力」を育て上げ、社会に向かっていく存在として完成させる場。

一方、高校は現状の「大学進学準備校」的なものが続くなら、なおさら中学とは明確に分離し、枠組みを取り払い、もっと流動性のある自由度の高い場にする。極論すれば「高校は自学自習でよくね?」であって、そうすることでこそ本来「高校で身につけるべき力」が身につく。

つまり、中学で独り立ちさせられれば、高校生は放っておいてよい存在であり(どうするべきかは自分で考えろ、年齢的にもそれができる環境がある)、高校を大学進学の準備と捉えること自体、人生の可能性を極端に狭めていると言える。

現に、本校でも6年間を中等部3年、高等部3年と便宜上(制度上といった方が適切かもしれない)扱ってはいるが、実際には2年と4年(もしくは2年ずつ3段階)に分けて学びのフレームを構築した方が理に適っているという考え方が主流だ。だから、外部連携を大胆に取り入れ、教科間連携と選択の幅を大幅に広げた、大学のような高等部をつくろうとしている。

また、前任の幼小中一貫校では、小中の9年間をシームレスに繋ぎ、義務教育課程修了という大きな一線を越える意味を考え、卒業後の進路を地元の高校に限定せず、海外も含めて大きな幅を持たせた。

当たり前のことだが、制度上、高校は義務教育ではなく、皆が行くべき場として規定されているわけではない。にもかかわらず「行くべき」だと考える大きな理由は、大学進学や就職のためであり、高校を出ていなければ「生きにくい」社会が目の前に横たわっているからである。

以前にも書いたことがあるが、高校はいわば「学びをつなぐ」形でできた中途半端?な存在であり(末尾参照)、それを既成事実化して「大学入試対策」の場として使ってきたに過ぎないと思っている。

良い高校から良い大学へ、その前には良い中学校・・・いや小学校段階から大学入試に向けての受験レースに参加し、良い大学を出ることが良い会社への就職、ひいては安定した人生につながると思っている大人がまだまだ多い。
その一方で、一条校の枠を超えた、偏差値や制度にとらわれない新たな学びの場が認知され、その方が居心地が良い(=理に適っている)と考え、選ぶ子どもや親が増えてきた。

これは、現状の教育制度が社会に合わなくなってきたことの表れであり、もはや「受け身の学び」には無駄が多く、それが「自立」を妨げていることは、誰の目にも明らかである。

企業においても、かつてのように新卒一括採用の社員を自社で育成することが、応分の投資として意味を成さなくなってきた。従来の「メンバーシップ型雇用」から「ジョブ型雇用」へ、即戦力をプロジェクト単位で採用する流れになりつつある。ひとり一人が「個人事業主」のような意識で働くことが必要になってきたといっても過言ではない。

そんな中に、いまの形の「高校」が必要だろうか。小中高大と続く「一本のレール」がどれだけの意味を持つのだろうか。

これまでは、だからこそ抜本的な改革が必要だ・・・と言ってきた。でも、最近は「違うな」と思えてきた。もっと自由に、やりたいと思う人が、やりたいことを、やりたい形で「世に問うて」いけばいい。その過程で、自然と選択や淘汰が起こり、もっと多様性のある「さまざまなタイプの学校」ができてくる、と。

だから、ドルトンは「ドルトンらしく」もっともっと尖っていい。

それぞれの学校が「他校がどうだ」と他人軸で考えるのではなく、あくまでも「自分軸」で教育を展開する。それが、本来の多様性の担保であり、学びの個性を体現する場づくりになると思う。

公立と私立という、他の業種には見られない2系統が存在する「学校」。いまやそのフィールドは国内に止まらず、世界、いやクラウド上にまで広がっている。

ここに第3、第4・・・の形があっても何ら不思議ではなく、違和感もない。
次世代の「学校制度」を考えるとワクワクしかない!!

☆学校制度(その個人的解釈)

戦前の学校制度を文部科学省のサイトで見ると、「高等学校」が初めて登場するのは1900年(明治33年)以降であり、「大学予科」との記載がある。高等学校としての明確な教育内容があってできたというより、大学(帝国大学)に入学するための準備教育機関(=予科)として機能すべく設けられたといえる。

学校系統図

さらに、1881年(明治14年)まで遡ると、大学(東京大学)の下に予科あるいは予備門が設けられ、小学校→中学校という系統と明確に分かれていることがわかる。

ということは、「小学校→中学校」という学びのつながりをつくる一方、大学の下に準備教育をする「予科」を設ける形で「大学→高等学校」という別の系統をつくったいうことになる。

その後、これらが制度上、1900年頃からつながりはじめ「小学校→中学校→高等学校→大学」という一連の流れができたと考えられる。

つまり、高等学校というのは小学校と中学校とのつながりというより、大学進学をめざす予備校として生まれ、大学とのつながりでできた学校だといえる。

また、別の視点でいっても、その中途半端さがうかがえる(繰り返すが、あくまでも個人的見解)。

1947年(昭和22年)に交付された学校教育法に基づく新制高等学校が1948年度(昭和23年度)から発足したが、新制高校は旧制中学2年分と旧制高校3年のうちの1年分を組み合わせたものとなり、中等教育と高等教育の内容が合体したものだった。

新制高等学校の発足

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