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挑戦=石橋を叩いて渡る、ということ

実現したいゴールが「1歩先」にあるとき

(1)2歩先のイメージを描き、伝え、
 「そりゃ行き過ぎだよ」
 「せめて、これぐらいにしておかなくちゃ」
 「現状では、そこまでは無理」
 ・・・といった声を聞いて、落とし所を探る議論するのか

(2)半歩先のイメージを描き、伝え、
 「それなら大丈夫だ」
 「十分やれる」
 「配慮してくれて、ありがとう」
 ・・・と、とりあえずできそうな半歩を進めるのか

時と場合・内容にもよるが、僕の基本スタンスは(1)だ

周囲との調和を図り、物事をスムーズに進めていくには、(2)のような対応がいいと考える立場の人もいる。実現したいゴールが固定化された目的になっているから、段階的に実現していく「着実な歩み」だと、先が読めて「失敗が少ない」ということだと思う。

実現したいゴールは、たとえ半歩でも動けば変わる。(1)の対応で2歩先を描くことの肝は、実現したいゴールの先にある、さらに求めたいことをイメージすることにある。実現したいゴールはあくまでも途中経過であり、その先に「挑戦すべき壁」があるはずだと考え、視座を高くして「想像する」ことが大事なのだ。

時間の流れとともに、未来は現在となり、過去となっていく。この一瞬も、我が身を「経験」という現実が通り過ぎている。経験が積み重なるということは、都度「判断根拠が上書きされている」ことであり、AIがデータを獲得して判断制度を高めていくのと同じだ

実現したいゴールは、決して「固定」じゃない。止まっているものではないと考えなけば、現実との乖離がどんどん大きくなる。

ならば、ゴールの先を考えられるだけ考えた上で、いまの2歩を踏み出すこと。結果的に、その方が「石橋を叩いて渡る」ことになるのではないかと思う。

できることをやっていくのではなく、できないことがどうやったらできるかを考え、失敗してもいいからやってみる。

その結果、もし失敗したとしても・・・

それは「石橋が崩れる」ほどの失敗でない。また、石橋が崩れたとしても、川に「流され」たり「溺れる」ような、立ち直れない事態になることはない。

石橋を叩くことは、想像すること

それが「挑戦する」ということ。

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