鉛筆と消しゴムについて。

煩わしい出来事や難しい感情が全てなくなったとして、最後に残っているものがあったとするならば、それこそが愛なのではないかと思う。
魂の重さが21gだったとして、それは重さであり軽さだ。

変わらないものなんてこの世界には何もなくて、だからこそ変わらないものを人は求めるのだと思う。
変化していくものを変わらない思い出にすることで、その変わらない思い出を誰かと共有することで安心したいんだと思う。

生きることは不安で不安定だ。
消費することで人は生きている。
それは例外なく命だって。
消費されることでしか得ることのできない力というものはある。
消費することでしか得られないものがある。
もっと消費しなければならないと思う。
消費すればするほどに減っていくということは、人生って鉛筆のようなものかもしれないね。

過去を変えることはできないけれど、修正することはできる。
記憶から消してしまったり、残されない歴史というものはどこにだってある。
忘れるということは優しさだと思う。
誰だって言い訳をする余地が残されているのだから。
ということは人生って鉛筆のようなものではなくて、消しゴムのようなものなのではないか?

人生は鉛筆であり消しゴムなのかもしれないね。
鉛筆は命に似ていて、消しゴムは魂に似ている。
命で書かれた(描かれた)ものを、魂で精査していく。
その魂で全てを精算して残ったものを愛だとすると、うっすらと残った跡のことなのかもしれないね。
だからきっと誰もがその跡を確認するんだよ。

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