作品タイトルをつける時。小河の場合 往復書簡#27
画家・タシロサトミさんとの往復書簡27回目です。
前回はタシロサトミさんの図書館司書時代のお話を伺いました。
とのことですが、言われてみたらその通り、図書館で調べ物をしたいお客様にどの本が良いかおすすめするのも知識と技術が必要ですものね。かなりの読書家で探究心がないと務まらない仕事だと思います。それを9年間もやっていたなんてすごい!尊敬です。その経験が今の制作につながっているのも良いですね。
そして言葉では表せない、言語化するとこぼれ落ちてしまうものを絵画に、、と私も思っています。
しかし、より多くの人に伝えるには言語化することも必要なわけで、、、というのがずっと私がぶつかっている壁でもあります。
私は抽象絵画と作品タイトルの関係は、一見難解に見える抽象絵画に入り口を作るようなものだと思っています。
私の描いている完全抽象絵画(具体的な対象をかきうつすということのない絵画)は、生活から感じたり見たりしたものからイメージを抽出して描いているのですが、図にしてみると下のようになります。
タイトルは出来上がった絵からさらにイメージした言葉をつけています。
なので、最初のイメージの元になったら「りんご」とは絶対につけない。例えば「芳醇」だったり「赤と円」だったり「赤香」だったり….そのほうが何倍もイメージが膨らんで面白いと思うのです。元々描く時点でイメージが膨らんで「りんご」ではなくなっていますしね。
タイトルをつける時は作品が出来上がってから辞書などで言葉を探します。たまに描いてる時にタイトルが浮かぶものもありますが、8割ぐらいは展覧会前に集中して考えます。その方が作品を客観的に見れるし、個展などの場合は全体を通してのイメージを統一して題名をつけられるので良いです。
そして思い付かないときは「助けて!グーグル先生!!」ですよ。
ひたすらいろんなものをググってネットの波の中から探します。
そんなふうに自分の作品にはなるべく鑑賞者がわかりやすいようにと思ってタイトルをつけているのですが、ぶっちゃけ私が他の人の作品を見るときはタイトルはほとんど見てません(笑)ビジュアル第一! 美術館で見た多くの名画も題名も作者も曖昧だったりします。元々人の名前も覚えるのが苦手なところあるので言語記憶が弱いのかもしれない。。。数字の記憶は壊滅的、、、、(おっと話がそれそう、、)
そんな私でも作品を買うときはタイトルも気にします。ビジュアルだけではない、作者の意図も知って納得して買いたい。その時にはタイトルは導きになるんですよね。
ということで、展覧会に作品を出すたびにあーでもないこーでもないと頭を悩ませつつもタイトルをつけています。
さて、では次の質問です。
タシロさんは私とは違ってシリーズでタイトルをつけていらっしゃいますが、シリーズで付けていても変える時ってとういう時に変えるのですか?コンセプトが変わった時とか自分の心情が変わった時とかでしょうか?
教えていただけると嬉しいです。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?