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完成を決めるタイミングについて 往復書簡#13

画家・タシロサトミさんとの往復書簡13回目です。
前回はタシロさんの色彩について、混色する理由についてお伺いしました。
タシロさんの色彩は私にはないもので、絵の具の質感や盛り上がり方にフェティッシュな美しさを感じるんですよね。そしてとても美味しそう。いいな〜と最初に作品を見た時からずっと思ってます。


さて、今回のお題完成を決めるタイミングについて。

お次の質問は、完成を決めるタイミングについて伺いたいです。

往復書簡でのやりとりを通じて、小河さんの制作スタイルを貫いている「コンセプトや理論よりも、まずは描いてみる」が、よく理解できました。

私は割と考えてから描く方で、それはその手順をふまないと制作途中で迷子になったり、筆を置く判断がしづらくなるという理由があります。


制作していると、何度か完成が近づく瞬間があると思うのですよ。その時にゴールをきめるか、もう1回壊して作り直してみるかの決断に迷うことはないですか?
判断の基準にしているルールのようなものがもしあれば、教えてください。
往復所管#12より

完成を決めるタイミングは難しいですよね。
絵なんて永遠に絵の具を重ねていじることができます。手数が多ければ密度は上がるかも??だけど、それと完成は違う。手数でもなくその画面にかけた時間でもなく、完成となるのはなぜだろうか。。。考えれば考えるほど難しい。

ぶっちゃけ

締め切りがくるから!!!!

って場合も多い(笑)
締め切りが来て時間を区切られるというのも大切だと思うんですよね。
終わりの時間が来るから、その時点での最善のものを描いて出す。
未熟な部分があったとしても、目の前にある作品以上のものを描けるとしたら、もっと自分が思考も変化し技術を習得しないといけない。そこを求めていたらいつまでも仕上がらないので、今の最善で仕上がり。完成。今回はここまで!ってことも多いです。

技術的なことを言うと
絵の構成、
視線誘導 右から入って画面の中を回って外に出てゆくと言うようなこと
色彩や形の必然性、その場所でいいのか? 多いのか少ないのか?
画面の緊張感が隅々まで行き渡っているのか?
何かしらのイメージを喚起するものになっているか?
など、出品までリビングに作品を飾って見続け検証します。

今の目の前の風景
出品前の20号と10号

日々見続けて、気になるところがなければ、その作品は完成している。
作品の強度などが気になる場合は、自分が持っている他の作家の作品と並べてみたり、偉大な先人の画集と見比べてみたりすることもあります。

もちろん1年以上描いていてもどんどんイメージが変わって、なぜか仕上がらない絵もたくさんあります。でもそれはそれで置いておいて、たまに出してきて描く。
作品を完成させようと思って制作し続けるのは苦しい時があります。そう言う時に仕上げなくてもいいや〜と思って描き続けられるキャンバスがあるのは心がホッとして助けられます。

しかし、作品をどこで終わり、完成とするかは考えれば考えるほど永遠の課題かもしれないですね。いま完成してると思ってる作品でも、10年後に見たらまだ未完成だと思うかも?
その中でも現時点での最善の作品、最善の完成を重ねていって、未来のより良い作品に向かっていくしかないのかなと思っています。

さてさて、タシロさんへの質問。
タシロさんは自分でパネルを制作してから描かれていますが、ただの四角ならまだしも、不定形のキャンバスって結構大変だと思うんですよね。なぜ不定形なのかやパネルの制作にまつわることなどをお伺いしたいと思います。よろしくお願いします。

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