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混色する理由、唯一無二性 往復書簡#12

画家・小河泰帆さんとの往復書簡12回目ですよ。
前回は色彩について伺いました。

小河さんのモノトーン作品、7回目の往復書簡で「戦ってる絵」って表現されてましたけど、本当にそういう感じ。ヒリヒリするような絵ですね。すごいな。かっこいい。

学生時代の無彩色があり、9年間のお休み期間を経て、復帰後に色が出てきたというのはなんとも不思議で面白いです。やっぱりそのタイミングでしか描けない絵があるというか、生身の人間が制作している以上、どうしたって、作品と作家の人生はリンクしてしまう一面がありますね。2つを切り離して鑑賞する視点も重要だし、作品単体での強度がないとお話にならないのはもちろんですけども。
作品の変化について、なんでそうなったのか小河さん自身が説明できないところ、作家本人にもコントロールできない感じが、生き物っぽいし、ままならないし、楽しいですね。

さて、小河さんからの質問はこちら。

タシロさんは私とは反対に、原色は使わず混色して綺麗なグレイ系の色彩で描かれる方だなと思っていますが、それはどうしてですか?「Used」がテーマだった時期があるので、テーマにも沿った色彩だったのだろうなとは思うのですが、タシロさんの色彩についてのこだわりなどを教えていただけると嬉しいです。 

色彩については、たしかに小河さんと正反対で原色は一切つかわないです。ご指摘どおり、作品のテーマに沿った色彩であることを第一に考えていて、やりすぎなくらい混色しますね。私の作品は《used》(使い古した)シリーズからはじまっていて、《relationship》(関係性)、《patch》(あて布)とタイトルが変化していますが、描いているものはずっと同じです。深く関わり合うことで変形したものや、補修の痕跡に魅力を感じていて、根底にあるのは年月を重ねることを肯定的にとらえたいという願いなんだろうと思います。



これを色彩に置き換えるとどうなるかというと、穏やかな、微妙なニュアンスを帯びたグレーやベージュだろうと考えました。私の場合、混色することで彩度が下がって鮮やかさが損なわれること自体に、嫌な感じは全然もってないのですよ。むしろ鮮やか過ぎると手に負えない感じがあります。原色の力はとても強いので、他のこまごまとした筆致の違いや艶マット感といった仕事の印象を、全部吹き飛ばしちゃうところがあります。物質感は私にとって重要な要素なので、色彩のもつ力を弱めたいという思惑がありますね。

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《patch#13》
45.5×38×3.5cm/アクリル、樹脂、鉛筆、パネル/2021年制作

混色はやればやるほど、再現不可能な色になって、唯一無二性を帯びますよね。一言では表現できないような、青とも赤とも言えないような複雑な色になります。その唯一無二性や複雑さが、私が描こうとしている年月を重ねることで生まれる価値だと思っていて、そんな色と色の関係性によって、全体として1つの美しい絵画空間をつくることを目指しています。

あと、単純に混色する作業はとても楽しいです。微妙な色を引き立てる色ってやはり微妙な色で、色見本にもないような色なので見つけるのに時間かかりますけど、その苦労がまたよいです。過剰に混色した色味ばかりだから気をつけないとぼやけた眠い絵になるので、さじ加減を気にしつつ丁寧に作ります。加えて、厚塗りするので大量につくって、そこにカサ増しとひび割れ防止と質感操作のため、アクリル絵の具に様々な種類のメディウムを混ぜるのですが、配合を考えるのは秘伝の薬を調合しているような感じがありますね。成功すると絵が生き返るというか輝き出すのですよ。
ばっちり画面にはまる色を作れた時の気持ち良さはたまらないです。確実に脳内麻薬でてますね。

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↑お豆腐の空容器を大量に再利用してます


お次の質問は、完成を決めるタイミングについて伺いたいです。

往復書簡でのやりとりを通じて、小河さんの制作スタイルを貫いている「コンセプトや理論よりも、まずは描いてみる」が、よく理解できました。

私は割と考えてから描く方で、それはその手順をふまないと制作途中で迷子になったり、筆を置く判断がしづらくなるという理由があります。


制作していると、何度か完成が近づく瞬間があると思うのですよ。その時にゴールをきめるか、もう1回壊して作り直してみるかの決断に迷うことはないですか?
判断の基準にしているルールのようなものがもしあれば、教えてください。