溶けていく子どもたち
八月に入ると、町の子どもたちが次々と溶けはじめた。
大人たちはその事実を、最初はうまく受け入れることができなかった。当然のことだ。どうして人が突然溶けたりするのだろう? どうして子どもたちだけが溶けてしまうのだろう?
確かに、今年の夏は異常なほど暑い日がつづいていた。地球温暖化はどうやら明らかに一つ上のステージに進んだらしく、世界各地で史上最高気温が更新されていたし、氷河は見る影もなく溶け、川や湖は干上がり、山火事で森は焼き尽くされ、大雨がいたるところで洪水を引き起こしていた。とはいえ、東京都の西部に位置するこの町の気温は、おおむね三十五度を越えることはなかった。そもそも、たとえ四十度だろうと五十度だろうと、その程度の温度で生身の人間が溶けるなど、物理的にあり得ないはずなのだ。
しかし実際に、子どもたちは八月に入ると溶けはじめていたし、その瞬間を親たちは目撃することになった。
最初に溶けた子ども――野田まもる(六歳)の母親・野田恵子(三十五歳)は、警察の聴取に以下のように証言した。
「あの子が溶けてしまったのは、いっしょに近所のスーパーへ買い物に行った時でした」と野田恵子は言った。その顔は蒼白で、目元は落ち窪み、手は小刻みに震えていたが、それでも気丈に聴取に答えようとしていた。「まもるは夏休みでずっと家にいましたから、いっしょに自転車で近所のスーパーへ行くのが習慣になっていたんです。スーパーの駐輪場に着いたあとは、はぐれないようにしっかりと手をつないで歩いていました。まもるは何か気になるものを見つけると、すぐにふらふらとどこかへ行ってしまうので……。
そう、ものすごく暑い日でした……午後の三時過ぎで、空には雲一つなくて、陽射しは肌が痛く感じるほどで。本当に溶けてしまいそうなくらい暑かったんです。(その比喩を口にした途端、野田恵子はハッと言葉につまり、両手で顔を覆って泣きはじめた。動揺がおさまるまで、聴取は中断された。)
すみません、取り乱してしまって……とにかく、そんな暑い日がもう二週間くらいつづいていました。でも、どんなに暑かろうと、冷蔵庫が空になれば買い物に行かないわけにはいきません。ふだんは比較的涼しくなる夕方に買い物に行くんですけど、その日は大学時代の友だちと午後に会う約束があったので、午前中に家を出ました。外の気温はたぶん三十度を越えていたと思います。でも、決して耐えられないような暑さというわけじゃなかったんです。まもるには携帯扇風機をもたせていましたし、冷えた麦茶を入れた水筒も持ち歩いていましたし。(そうです、暑さ対策はちゃんとしていたんです。)
駐輪場を出てスーパーの入口へ向かう途中で、ふと、あの子の手がじっとりと湿っているのを感じました。どうしてこんなに汗をかいているんだろう?って思ったのを覚えています。もしかしたら熱中症かもしれないって心配になって、立ち止まってまもるを見ました。でもあの子はなんでもなさそうな顔をしていて、きょとんとわたしを見上げているだけです。『ちょっと、大丈夫?』とわたしは言って、まもるの手のひらをハンカチで拭きました。最初は汗かと思ったんですが、その液体はどことなくいつもの汗と違っているような気がしました。なんだか…少し粘りがあるような気がしたんです。でもその時は、そんなことはわかりませんでした。『すごい汗だよ』ってまもるに言いました。『だいじょうぶ!』ってまもるは答えて、ニコニコ笑っていました。いつもと同じ、素敵な笑顔でした。だから安心して、あの子の手を取って、歩き出そうとしました……そのとき、また手が濡れているのを感じたんです。さっき拭いたばかりなのに、まるで水を浴びたみたいにぐっしょりと濡れていました。え、どうして?って思った次の瞬間、わたしの手のなかで、あの子の手が……ぐしゃって崩れたんです。まるで……まるで水風船が割れるみたいに……」野田恵子の体がぶるぶると震えていた。母親の精神状態を考慮した警察は聴取を中止しようとしたが、野田恵子は取り憑かれたように話しつづけた。「……まるで水風船が割れたみたいに、バシャっていう音がして、たくさんの水が一気に地面にぶちまけられたような音がしました。わたしはハッとして、急いで振り返ってまもるを見ました。するともう……あの子は溶けていたんです。あっという間の出来事でした。まもるの着ていたTシャツと短パンとパンツとサンダルだけが、抜け殻みたいに地面に落ちていて、そこに大きな水たまりができていました。でもその液体は、血とか肉とか、そういうグロテスクな色じゃありませんでした。ただの、ほんの少し粘りのある、透明な水のように見えました。でもわたしは、いったい何が起きたのかをすぐに悟りました。その水たまりが、さっきまでまもるを形作っていたものなんだってわかったんです……」野田恵子は両手で顔を覆い、嗚咽しながら、声を絞り出した。「……わたしは大声で叫びました。周りの人たちがぎょっとしながらわたしのほうを見ているのがわかりました。わたしは必死で、くるったみたいに、そこにたまっている水をーーまもるだったものを、両手でかき集めようとしました。でも、それはどんどんどんどん地面に広がっていって、その上をスーパーの買い物客がばしゃばしゃと気づかずに踏んでいきました。わたしは半狂乱になって叫びました。『やめて! あの子を踏まないで! 離れて!』それで……意識が遠くなって……気がつくと病院のベッドにいました。あの子は溶けてしまったんです」
それが溶けた子どもの最初の目撃証言だった。
当然のことながら、最初は警察も野田恵子の言葉を信じず、育児に疲れて心を病んだ母親の妄想だと考える者が多かった。だが、野田まもるが忽然と姿を消してしまったのは確かだったし、その行方は杳として知れなかった。
それから一週間のあいだに、町で子どもの失踪事件が相次いだ。毎日どこかで誰かの子どもが消えていた。川、海、山、公園、スーパー、大型ショッピングモール、図書館、市営プール、映画館、美術館……あらゆる場所で、子どもたちが次々と行方不明になっていった。共通点はただひとつ、子どもたちの年齢が十歳以下であるということだけだった。警察は公開捜査に乗り出し、身代金目的の誘拐、小児性愛者の犯罪、人身売買組織の関与など、あらゆる線から徹底的に捜索を行ったが、それらの可能性はすぐに否定された。五番目に溶けた子ども・吉野かえで(九歳)が溶けた瞬間を、偶然その場に居合わせた大学生がスマホで撮影したのだ(それは町の駅前広場で行われた盆踊り大会の夜のことで、多くの人々がスマホで動画を撮影していた)。その動画には、浴衣を着て楽しそうに盆踊りを踊っている吉野かえでが、二、三秒のうちに溶けて消える様子が克明に写っていたし、地面に落ちた濡れた浴衣を抱きしめて半狂乱になっている吉野かえでの母親・吉野香織(三十六歳)の様子も撮影されていた。この大学生が撮れた動画をすぐさまSNSにアップしたことで(「一度でいいからバズってみたかったんです」と大学生は悪びれることなく答えた。)この恐ろしい現象はあっという間に全国に知れ渡ることになった。子どもたちは犯罪に巻き込まれたのではなく、溶けているのだ。こうして町は恐怖のどん底に叩き込まれた。
親たちは、子どもを決して家から出さないようになった。この恐ろしい現象の原因がもし暑さだとするならば、外出せずにクーラーの効いた室内にいれば、子どもたちは安全なはずだ。(人間が四十度にも満たない気温で溶けるはずがない、という科学者の知見は無視された。『じゃあ、自分の子どもを試しに外に出してみなさいよ』とある母親は吐き捨てた。「その勇気があるならね」)
だがすぐに、この推測は間違っていたことが判明した。十五番目に溶けた子ども斉藤りょうた(九歳)は、クーラーの効いた気温二十度の室内で、スマホでゲームをしていたときに溶けてしまったのだ。斉藤りょうたの父親・斉藤正樹(四十歳)はこう証言している。
「町で妙な病気が流行っていることは知っていましたから、絶対に外には出るなと、りょうたには厳しく言っていました。本人も例の動画をネットで見ていましたから、怖がって出ようとしませんでした。昼も夜もずっとクーラーはつけっぱなしでしたよ。温度は十八度に設定していて、帰ると寒いくらいだったんです。私はクーラーが苦手なので、本当に風邪をひきそうでした。りょうたの様子ですか? とても元気でしたよ。夏休みなのにどこにも連れていってもらえず、近所に遊びにいくこともできず、ずいぶんイライラしていたようですが。だから気晴らしのために私の携帯を貸して、アプリのゲームをさせていたんです。
あれが起きたのは、日曜日の夜、ちょうど夕飯の時刻でした。りょうたがいつまで経っても一階に降りてこないので、ゲームに夢中になりすぎて気づかないのかと思って、二階へ呼びにいったんです。『おーい、りょうた、夕飯だぞ!』って。でも返事はありませんでした。部屋のドアを開けてみると…りょうたの服が床に落ちていて、カーペットがぐっしょりと濡れていました。それですぐに何が起きたのかわかったんです……」そう言って、斉藤正樹は頭を抱えた。
この事例から、子どもたちが溶ける現象は必ずしも気温に左右されるわけではないことが明らかになった。では、いったい何がトリガーとなって子どもたちは溶けているのだろう?
次に考え得る可能性は、伝染病だった。科学者たちが未知の伝染病の可能性を政府に提言すると、その翌朝、まだ夜が明けきらぬうちに、防護服に身を包んだ自衛隊員の一個師団が、町を完全に封鎖した。子どもを連れて町を脱出しようとしていた親たちは、あらゆる道路と交通機関が軍用車両やバリケードで封鎖された異様な光景を目にして絶望した。「なんだこれは? 出してくれ! この町から出せ!」と、元プロレスラーで二児の父親である篠田豪(三十五歳)をはじめとする武闘派の親たちは抗議したが、警棒と盾で武装した自衛隊員たちは、無言で親たちを強制的に排除した。催涙ガスや放水銃を使用して、問答無用で鎮圧した。親たちは町からの脱出を諦めざるを得なかった。
追い詰められた親たちは、子どもたちを商店街のスーパーや精肉店や鮮魚店に連れていき、業務用の大型冷蔵庫に子どもたちを避難させてほしいと頼んだ。「そんなことをしたら子どもたちが凍死してしまいますよ」と店主たちは断ったが、親たちは「子どもたちには防寒服を着せますし、溶けてしまうより凍死のほうがずっとマシです。少なくとも遺体は私たちのもとに残るでしょうから」と懇願した。店主たちはしばらく渋った末に、店の大型冷蔵庫を子どもたちの避難所とすることに同意し、子どもたちが生活できるように改造を施した。ベッドやクローゼットや勉強机やテレビが持ち込まれ(当然のことながら冷蔵庫は必要なかった。今では冷蔵庫の中に住んでいるのだから)、Wi-Fiも完備された。はたしてこれで子どもたちは安全なのか、親たちも最初は半信半疑だったが、一週間のあいだ子どもたちが溶ける現象は確認されなかったので、どうやら効果はあるようだった。親たちはホッと胸をなでおろした。
やがて九月がやってきて、子どもたちの夏休みは終わった。だがもちろん、町の小学校は閉鎖されたままだったし、猛暑がおさまる気配もまったくなかった。冷蔵庫での生活にうんざりしはじめた子どもたちは親たちに訴えた。これはカンキンであり、ジドウギャクタイじゃないかと。「ちがう」と親たちは(どこでそんな言葉を覚えたんだろう。とたじろぎながら)首を振った。「これはきみたちを守るためなんだ」
だが子どもたちは納得できなかった。「一生こんなふうに冷蔵庫の中で暮らさなくちゃいけないの?」
「そんな心配はいらない」と大人たちは言った。「十歳になれば、あなたたちは溶けずに自由に暮らすことができるはずだ」
確かに、溶けた子どもはすべて十歳以下であることが確認されていた。十歳以上の子どもたちは今でも溶けることなく元気に暮らしていたし、学校にも通っていた。「だから十歳の誕生日になるまで我慢してほしい。これはあなたたちのためなのだから」と親たちは言った。
だがある夜、子どもがひとり、親たちの監視の目をかいくぐって冷蔵庫からこっそり脱出した。名前は井上こうき(八歳)といった。「あと二年も冷蔵庫のなかに暮らすなんてイヤだ」と、井上こうきは親友の尾田しんたろう(八歳)に言った。「ぼく、ここから出てやる」
尾田しんたろうは呆れて肩をすくめた「よせって。あと二年我慢すればいいだけじゃん? ここを出たら溶けて死んじゃうんだぜ」
だが井上こうきの決心はかたかった。「ぼくはいま出たいんだ。こんなところに二年もいるなんてまっぴらだ。溶けちゃってもかまわないよ。ぼくはここを出る」
その日の深夜、井上こうきは見張り役の大人に「トイレに行きたくて」と嘘をつき、冷蔵庫から連れ出された(構造上、冷蔵庫の中にトイレを設置することはできなかったのだ)。「早くしろよ」と大人に見張られながらトイレに入ると、井上こうきはその小さく柔らかい体をうまく駆使して、トイレの小さな窓を抜けて外へ脱出した。気付いた見張り係は慌てて警報を出したが、そのころにはすでに、井上こうきは商店街から遠く離れた町外れの森林公園まで走っていた。
公園の原っぱで、井上こうきは久しぶりに夜の蒸し暑い空気を胸いっぱい吸い込んだ。大人に着せられた不快な防寒着を脱ぎ捨て、シャツとパンツだけになり、原っぱを裸足で駆けまわった。夏の夜の生ぬるい風が肌に心地よかった。木と草と土の甘い匂いがした。ぼくは自由だ、と井上こうきは思った。
だが次の瞬間、井上こうきは自分の手がじっとりと湿っているのを感じた。汗ではない、ねばねばとした透明な何かだった。ぼくは溶けているんだ、と井上こうきは思った。自分という人間を形作っているものがドロドロと崩れていくのを感じた。だが、冷蔵庫の外に出ればそうなってしまうことはもう知っていたので、べつに怖くはなかった。井上こうきは、森林公園の広い原っぱに大の字に寝転んだ。後悔はなかった。確かに、もうすぐ自分は溶けてしまうかもしれない。それでも、冷蔵庫の中に閉じ込められたまま十歳になるよりはマシだ。井上こうきは、人生で初めて自分のことを誇りに思った。ぼくは正しいことをしたんだ。それでじゅうぶんだった。
体の痛みはまったくなかった。溶けている途中から体の感覚そのものが消えてしまったのだ。それはむしろ快楽に似ていた。まるで我慢していた小便をようやく放尿できたときのような(井上こうきはまだ幼かったので知らなかったが、それはオルガスムの感覚そのものだった)――皮膚が溶け、筋肉が溶け、骨が溶け、内臓も、眼球も、脳も溶けて――どこまでも下へ下へ下へと落ちていった――
追ってきた大人たちは、森林公園の原っぱに井上こうきのシャツとパンツが落ちているのを見つけ、首を横に振った。「だめだ。手遅れだった……」
こうして井上こうきだったものは、原っぱの土に染み込んでいった。
*
朝になり、また太陽が熱く照りつけると、井上こうきだったものは水蒸気となり、空に舞い上がった。高く高く高く舞い上がり、冷やされて白い雲になり、吹きわたる風に乗って大空を飛んだ。ふと見まわすと、周りにはたくさんの雲が浮かんでいて、そのひとつひとつが、この夏に溶けていった子どもたちであることがわかった。〈みんなここにいたんだ〉と井上こうきは思った。野田まもるもいたし、吉野かえでもいたし、斎藤りょうたもいた。
井上こうきは彼らに話しかけた。〈ぼくたち、これからどうなるの?〉
〈雨になるんだよ〉と彼らは答えた。
*
町の大人たちが空を見上げると、いくつもの雲が町の上空を覆っていた。ぽつりぽつりと雨が降りはじめ、大粒の雨が大地に打ちつけた。三週間ぶりの雨だった。
雨は三日間降りつづき、やがて雲の隙間から青空が顔を覗かせた。暑さは嘘のように和らぎ、秋の訪れを告げる涼しい風が、呆然と空を見上げている大人たちの顔を優しく撫でていった。
やはり自宅のまえで空を見上げていた井上こうきの母親、井上美樹(三十九歳)が、突然はっと息をのみ、声をあげた。「こうき……!」
見ると、井上こうきが生まれたままの姿で、家のまえに立っていた。
*
こうして、溶けていった子どもたちは、ふたたび親たちのもとに帰ってきた。自衛隊による封鎖は解除され、冷蔵庫に閉じ込められていた子どもたちも解放され、町に日常が戻り、美しい秋がやってきた。
だがそれでも、また来年の夏には子どもたちは溶けることになるだろうし、現時点でこの現象を止める方法はまだ見つかっていない。子どもたちは毎年溶けつづけているし、地球は毎年暑くなりつづけているし、大人たちはまだその事実をうまく受け入れられないでいる。
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