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自己紹介⑨(大学での研究生活)

大学4年生になると研究室に配属されます。

3年生までは講義をあまり受けてませんでしたが、生物学の教科書は読んでいたし、実習の授業は欠かさず出席してました。

生物工学の研究をしたくて大学に入ったので、大学の先生の念仏のような講義に興味がなかっただけで、研究者になるために必要なことを学ぶ意欲はありました。

なので、4年生からやっと研究ができるとわくわくしてました。

研究室は生徒の希望を聞いて、成績順に希望が通ります。僕はもちろん成績は良くなかったので人気の研究室にはいけませんでした。

でも、僕は第一希望の研究室に入れました。なぜかというとみんなが選ぶ人気の研究室は「就職に有利」「研究活動が楽」とかだからです。

僕はがっつり研究がしたかったし就職活動にも対して興味がなかったので、今やりたい研究を思う存分やれるところを希望しました。それが人気のない研究室だったので希望通りに配属されました。

4年生からの研究生活はなかなかハードでした。

【月曜日~木曜日】
朝9時~10時くらいに研究室に行く
夜23時くらいまで研究、追い込み時期は24時を越えることもある

【金曜日】
朝9時~10時くらいに研究室に行く
夜19時くらいまで研究
20時から柏で飲み(居酒屋→キャバクラかフィリピンパブ→たまに奮発して風俗)

【土日】
9時~15時までバイト
15時~19時に研究室
19時から彼女と会う

こんな感じのスケジュールを4年生、修士1年、2年の3年間で続けました。

余談ですが、金曜日にキャバクラに一緒に行ってた研究室の先輩はお金がなくて、毎日ペヤングを食べ続けて、栄養失調で倒れて入院しました(笑)

僕は回転寿司屋でバイトをしてたので、栄養補給はできてたので大丈夫でした。お金がない学生は栄養失調で倒れないように飲食店でバイトすることをお勧めします!

ほとんど休みなく研究してたので、友達からは「やつれたけど大丈夫か?」と心配されてましたが、全然つらくなく、むしろ研究の楽しさにどんどんはまっていきました。

やってたことは、脳神経系の発生分化に関わる遺伝子(から生成されるタンパク質)の機能解析。分子生物学というやつです。

人間の体には37兆個の細胞があり、それぞれに核というのがあり、その中にあるDNAに遺伝情報が組み込まれています。

遺伝子がmRNAという翻訳家さんによって、アミノ酸の複合体のタンパク質が生成されます。時期や外部環境によってタンパク質の発現量は変化します。

お腹の中にいる胎児が脳神経系をつくっていく時に発現量が多くなるタンパク質を調べてました。その時期・その場所に多く発現するということは、その時期・その場所で何かしらの役割を果たしている可能性が高いです。

その頃、京都大学の山中伸弥教授がiPS細胞の論文を発表して、発生分化、再生医療の分野はとても注目されてました。
4つの遺伝子(Oct3/4, Sox2, Klf4, c-Myc)を皮膚の細胞に導入すると、なんにでも分化できる幹細胞になるという画期的な発見でした。

このへんの話を書きだしたらきりがないのですが、要は遺伝子って面白いってことを伝えたかったんです。

そんな感じであっというまに研究生活の3年間が過ぎていきました。

本当は研究を続けて博士課程に進みたかったのですが、親に学費を出してもらってたし、これ以上学生を続けるのは申し訳なかったし、社会に出てみたいという気持ちもありました。

とはいえ、研究にはまってた僕は就活が面倒くさくてしょうがなかったので、かなり適当にやってしまいました。

そもそも父親の影響で会社員に対するイメージは良くなかったです。

会社にこきつかわれる人生はイヤだったので会社の知名度や給料は気にせず、やりたいことをやれる会社に就職しようと思ってました。
お金は投資とか副業で稼げば良いやとなんとなく考えてました。

なので、そんなにエントリシートや履歴書も出してないし、わりとなんとなく面白そうっていうだけで会社を選んで就活しました。

そんな感じで受かった企業に就職します。
ベンチャー企業で全然有名じゃない会社でしたが、自分のやりたい研究をさせてもらえそうなので楽しみにしてました。

こんなところで大学生活のことは終えていきます。

彼女との恋愛や研究室のメンバーの珍エピソードなども書きたいところですが、また機会があれば書きます。

明日は、社会人1年目のことを書きます。
僕にとっては人生の節目となる、かなり大きな出来事がある1年でした。

乞うご期待を!




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