九谷焼の産地に来て、10年後を考えるようになった話。
九谷焼の産地にも、日常が少しずつ戻ってきた。
運営に携わっている「九谷セラミック・ラボラトリー」も6月1日から営業再開し、特に移動制限が解除されてからは県外からお越しの陶芸体験の予約が増えてきた。
産地の作り手にも新しい変化が生まれてきている。
毎年6月中旬が〆切となっている石川県の新商品開発関連の補助金申請にも、産地の窯元から数社が参加し、お仕事の中で2社の申請に携わった。
その他にも、これまで自社のHPを持って来なかった窯元が、昨今のネットを通じた販売の動きを見て、生産から販売まで自社で一貫して行っていこうとしている。
ちなみに新しい変化が生まれたのは、産地に限った話だけではない。何を隠そう、自分自身にも少し変化があったように思う。
千葉・柏から石川に移り、早くも3年が経った。
今年の3月に初めて書いたnoteでも簡単に触れさせてもらったが、私は千葉県柏市の出身で、2017年7月に石川県での生活をスタートした。
写真は柏時代に働いていたまちづくり会社が経営している飲食店で、最後に食べさせてもらった賄いのパスタ。この後、地元の柏での仕事を終え、石川に移った。
自己紹介noteでは割愛させてもらったが、好奇心と成長欲が強く、仕事が好きな自分は、元々は典型的なジョブホッパー。振り返っても3年続いた仕事はなく、常に新しい目標を見つけては仕事を変え、ライフステージも変化していった。
『菊練り3年、ろくろ10年』
春になると新社会人に決まって贈られる言葉のように、陶芸の世界でも仕事を身体で覚えるためにはまずは3年必要だと表す言葉がある。
これまでの感覚では3年近くになってくると「さて、次はどこへ行こうか」と新たな目標地点を定めて、そこへ向けて動き出してきたと思う。しかし、去年の3月に個人事業主となり、九谷焼の産地に携わることを決めた時には、そうはならないことを予感していた。きっと、長い関わりになると。(いや、長い関わりにしていきたいと。)
3年視野から10年視野へ。産地の未来をこの目で見たい。
産地で作り手と関わって仕事をする中で、直近の変化を感じつつも、産地を取り巻く構造、作り手・売り手・買い手の関係、現在迎えている状況を生み出した背景など、産地の交差点となっていく場所で色々なことを感じてきた。
その中で感じている課題感だったり、問題に思うことについては、noteでは割愛するが、いま変わろうとしている作り手は、その状況からの脱却を先陣切って取り組もうとしている方々である。
残り2年弱の委託契約となっている「九谷セラミック・ラボラトリー」でも、業界の閉塞感を打ち破るために、産地のためになる動きを作っていこうと考えている。
つまり何が言いたいかというと、いま産地で迎えている変化はあくまで一歩目の変化に過ぎず、ここから少しずつ少しずつ、産地の中で変化の輪が広がっていくことが、産地を取り巻く閉塞感からの脱却に繋がると考えていて、その為には3年どころか、5年、はたまた10年かかる話だと思っている。
今回、産地で生まれた新たな一歩目の変化を感じる中で、10年先、15年先の産地の未来を、この目で見たいと思うようになった。そして産地の中で一つの役割を果たす為に、ある拠点を作ることを決めました。
来年、石川の美味しい食と工芸を楽しめる店を開きます。
来年の春夏を目指して、石川の美味しい食と、九谷焼を中心とする伝統工芸を一緒に楽しむことが出来るお店を開く準備をしています。
東京オリンピックの延期が決まった今年の4月あたりから、小松市の建築設計事務所の皆さんと、小松出身のアートディレクターの先輩と一緒に準備を進めていて、実はもう場所は決まりました。
まだ詳しくは書けないが、小松市内のとある場所の土地と物件を購入して、僕だけでは出来ないので社員とスタッフを雇って、開業したいと考えている。
伴って銀行さんからは(保証しうる範囲で)数千万を借りるつもりなので、とてもじゃないけど生半可な気持ちでは出来ず、10年〜15年かけて減価償却できればと考えている。
もっと九谷焼をはじめとする工芸を身近に感じてもらい、もっと広く様々な方に知ってもらって使ってもらえるように。産地で役割を果たしながら、10年先の産地の未来を、この目で見ることができればと考えている。
初めて「です・ます調」から「である調」でnoteを書いてみました。違和感あったら教えてもらいたいです・・・!(ご拝読ありがとうございます!)
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