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75.笑い・風刺・前衛・そして変態 = Frank Zappa

ザッパことフランク・ヴィンセント・ザッパ(Frank Vincent Zappa)は1940年生まれ、1966年デビューのアメリカのミュージシャンです。意外にデビューは遅く26歳の時。そして、1993年に52歳の若さでこの世を去りました。その間26年間、膨大な量の音源を遺し、死後にリリースされた音源も含めると100枚以上のアルバムを発表しています。アメリカ・ロック史、ひいてはアメリカのコンテンツ史において巨人と言うべき存在であり、「ザッパ論」だけで何冊も本が出るほど多面的、多層的な創造物の小宇宙を築き上げたアーティストですが、今日は入門編ということでざっくりと「ザッパってこういう人なんだ」という話を。

まずはこちらの動画をどうぞ。

ザッパの和訳付きライブ映像。これを見てもらうと寸劇的、コミカルな要素が強いことが分かります。ロック業界、音楽業界、「アートを商売にする」ことを強烈に皮肉る曲ですが、ある意味自虐ともとれる。そして恐ろしいことにこれを寸劇しながら生演奏でやってしまう超絶技術力。ザッパの本質はこういう「笑いの中に込められた痛烈な皮肉」であり、シリアスな面で言えば政治活動なども行っていましたが、そうしたものをあくまで「エンターテイメント」の中で表現し続けたのがザッパの偉大さ。

ある意味Youtuber的な「自分の人生すべてをコンテンツ化」する視点の先駆けともいえます。ある時期から全ライブ、全スタジオをほぼ録音しており、それらを組み合わせたり、ライブ中に新曲を演奏したりしてずっとストックをためていった。だから100枚以上ものアルバムをリリースできたんですね。超絶技巧のバンドを組むことで、ライブアルバムとスタジオアルバムの垣根をなくし、膨大な量のアーカイブを遺した。それらすべてのアーカイブがエンタメとして成り立つ、コンテンツとして成立する強度を持っていたというのがザッパのすごみであり最大の発明でしょう。ライフログのように大量の情報が記録され、コンテンツ化される。「ザッパという物語」を人々が共有し、楽しめる。その中にはもちろんさまざまな思想があり、ザッパという人間が息づいています。

この曲、耳当たりは良いのですが歌詞がひどい。マイケル・ムーア監督のような「笑いの中に現代社会のひずみを映す」、つまり風刺が効いたスタイルですが、強烈。なお、こうした尖った活動をしながら演奏技術と音楽能力の高さによって耳障りが良いエンタメに昇華したことによって一定の商業的成功も収め、この曲はヨーロッパでヒット(さすがに歌詞の意味がダイレクトに届くアメリカではラジオでかからず黙殺)、ノルウェーとスウェーデンで1位、ドイツで4位のスマッシュヒットになります。

政治家にも痛烈な皮肉をかましています。

これはニクソン批判ですが、トランプの時代までザッパが生きていたらさぞ過激な曲を作ったことでしょう。このようにさまざまなテーマを歌い、場面場面を演劇的に盛り上げる手法を使ったことで、ヒップホップ的なミクスチャー精神をいち早くロックに取り入れたともいえるし、ヒップホップの台頭はつまり「物語の台頭(歌詞主体)」ともいえるわけですが、そうした動きの先駆者でもあると言えるでしょう。音楽的には直接的なラップ、ヒップホップ色は薄いですが「普通の人の話し声・会話」を音楽に溶け込ませることはロック界ではかなり早いうちから取り組んでいました。思いついたことをどんどんやっていく、記録していく、その過程でどんどんコンテンツが多岐に広がっていった。大瀧詠一さんがナイアガラレーベルを26年続け、初期のペースでリリースを続けていたらザッパみたいになったのかもしれません。

最後はこちらの曲を。途中から対訳がなくなりますが、まぁなんとなく雰囲気で分かるかと。ザッパは字幕付きで見ると理解が深まりますね。

アルバムごとに色が変わり、ロック色が強いアルバムから完全な室内楽、前衛音楽的なアルバムまで、アルバムごとに色が変わりますが、一部の極端なアルバムを除き、通底するのはユーモアの精神とザッパのキャラクター。アルバムや曲単位より、「ザッパという物語」を紐解くように追っていくと、その破天荒で多面的な魅力が見えてくる気がします。

それでは良いミュージックライフを。

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