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"鋼鉄神"Judas Priest ロックの殿堂入り記念:50 Metal Years振り返り

Judas Priestが2022年、ロックの殿堂Rock&Roll Hall Of Fame入りを果たしました。ロックの殿堂とはUSのオレゴン州クリーヴランドにある民営の博物館で、「ロック史に残るアーティスト・ミュージシャン・関係者」を記念・展示しています。

ロックの殿堂

世界的に見ても「ロック史の博物館」は珍しく、民営の一博物館ながらここに選ばれることはロック界の最高の栄誉の一つとされています。

基本的に、USにおいて「メタル」の評価は低い。グラミーにもあまり選ばれません(ある時期からメタルカテゴリーが作られて隔離された)し、ロックの殿堂入りしているメタル系アーティストも比較的少数です。それが「ロック史におけるメタルの役割を過小評価しているのではないか」という論争になったりもするのですが、今回晴れてJudas Priestが殿堂入りを果たしたということで、それを記念して50年に及ぶJudas Priest史50 Metal Yearsを振り返っていこうと思います。

Judas Priestは「メタルゴッド」の異名があり、ヘヴィメタルの権化的な扱いもされていますが、時代的にも音像的にも「ハードロックとヘヴィメタルをつなぐバンド」だと思っています。「天才的なソングライター」がいるわけではなく、「Judas Priestらしさ」という一貫した音楽的スタイルも実はあまりない。「Cream的なヘヴィブルースロック」「Queen的なキャラクター性」「Led ZeppelinやDeep Purpleのようなハイトーンシャウト」「Black Sabbath的なサタニックな印象」など、UKロックの少し先輩たち(だいたいこれらのバンドメンバーの5歳下)の音像を取り入れ、ミックスしながら自分たちの音像とバンドイメージを作り上げていった。ただ、その時代時代に合わせて変化し続けたことが結果として「ヘヴィメタル50年史」とでも呼べるものになっていった。その変化の歴史が人間臭くて魅力的です。

なお、ヘヴィメタルという言葉の語源は諸説ありますが、個人的に一番好きなのはブラックサバスの音楽を当時の評論家が「まるで工場が出す重金属(ヘヴィメタル)の騒音のようだ」と酷評したことから。ブラックサバスのメンバーはこれに喜び、むしろ積極的に使うようになったそう。ブラックサバスの出身地、バーミンガムはイギリスの重工業と石炭の町であり、ブラックカントリー(煤と煙で黒い)と呼ばれていました。工場の金属音は彼らにとって騒音ではなく故郷を連想する音だった。ジューダスプリーストも同じくバーミンガム周辺、ブラックカントリー出身。この2組のバンドが確かに金属的(メタル)な音楽そのもののイメージを生み出していったと言えるかもしれません。

black countryと呼ばれた頃

本稿では次の三つ、

1.音楽的変遷
2.LGBTQアーティストとしての影響力と評価
 ・フレディマーキュリーとロブハルフォードは互いに影響を与えていた
3.おまけ:最初に聴くのにおススメの5枚

を書いていこうと思います。それではまずは音楽的変遷をたどってみましょう。結成当時、1970年代初頭へGo。


1.音楽的変遷

Judas Priest結成~デビューまで(1969ー1974)

Judas Priestの結成は1969年とされています。当時、ジミヘンドリックスの登場によってギターの可能性が急激に広がり、UKはハードロックブームの真っ盛り。Beatlesと並ぶほどの存在感を放ったLed Zeppelinを筆頭にエリッククラプトンを擁したCream、アートロックからハードロック路線に展開を図ったDeep Purple、そしてバーミンガムから出現した”メタルの父”Black Sabbathらが1960年代後半~1970年代初頭にかけて大活躍します。1970年ごろ、UKハードロックシーンは一つの頂点を迎えていました。当時の雰囲気が分かる映像をどうぞ。まずは1969年、Led Zeppelinのライブ映像。「ハードロック」というスタイルを確立した堂々たる姿です。

そして同時期のDeep Purple。こうしてみると同じ「ハードロックバンド」と言いながらディープパープルはかなりジャズ的要素が強いというか、ジャズロック的なインプロビゼーションの雰囲気があります。ジョンロードのキーボードの影響が大きい。実際にライブでは1曲をかなり引き延ばして演奏することも多く、基本的にはジャズロック、プログレッシブロックバンドだったことが伺えます。

そしてBlack Sabbath。70年代初頭を描いた映画でキッズがBlack Sabbathを「俺たちのバンドだ」的な紹介をするシーンがありましたがまさに「キッズ代表」というか、カッコいいけれどちょっと身近な感じがするバンドでした。Led Zeppelinはカリスマ性とスター性がありすぎて、ある意味雲の上のロックスターであり、Deep Purpleはプロフェッショナルな音楽家集団であった。それに比べてBlack Sabbathは「自分たちに近いバンド」でした。

こうした時代の空気の中で結成され、デビューを目指していたのがJudas Priest。幾多のメンバーチェンジを経て、主要メンバーであるロブハルフォード(Vo)、KKダウニング(Gt)、グレンティプトン(Gt)、イアンヒル(Ba)が揃い(ドラマーはあまり安定せず、初期はアルバムごとに変わっていた)、いよいよリリースされたのが1974年のデビューアルバム「Rocka Rolla」です。ただ、このアルバムはまだJudas Priestらしさは確立されておらず、CreamやBlack Sabbathなどを模倣したヘヴィ・ブルース・ロックという趣。曲によって「ああ、あのバンドっぽい曲を作りたかったんだな」というのが透けて見える作りで、あまり特異性は出ていません。1曲、この頃の映像をどうぞ。

それなりのクオリティではありますが、正直「当時こういうバンドがいたんだなぁ」ぐらいの感想で同時代の中で突出したものはあまり感じません。Judas Priestはデビュー当時からカリスマだったわけではなく、未完成のバンドとして世に出たのです。

方向性の模索とブレイク前夜~「運命の翼Sad Wings Of Destiny」から「イン・ジ・イーストUnleashed In the East」まで(1975-1978)

1stアルバムでデビューしたものの商業的成功も音楽的評価も得られなかったプリースト。めげることなく2ndアルバムの制作に取り掛かります。2ndアルバム「運命の翼(1976)」はJPが個性を確立した名盤、と評されていますが、今聴くとQueen(特に「QueenⅡ(1974リリース)」)からの影響を感じます。コーラスを左右に振ったり、小曲を入れて組曲っぽさを出す手法はまさに初期のQueen。QueenはLed Zeppelin、Deep Purple、Black Sabbathのメンバーとほぼ同年代ですが、デビューが少し遅くヒットし始めたのは1975年ごろから。後述しますが、ロブハルフォードはフレディマーキュリーに多大な影響を受けており、JPの方向性にも一つのインスピレーションを与えたのでしょう。前作に続いてUKハードロックのレジェンドたちの影響が感じられますが、そこにQueen色も加わり、JP独自色が出てきます。

2ndアルバムでつかんだ独自性に自信を持ったJP。まったく商業的に反応がなかった1stに比べ、「成功」とは呼べないまでもセールスも改善し、ツアーも盛況。その勢いを駆ってメジャーレーベルであるソニーとの契約を手にします。メジャーデビューアルバム「背徳の門Sin After Sin(1977)」では「運命の翼」をさらに掘り下げた音楽性とメジャーならではの良好なプロダクションを獲得。続く「スタンドグラスStaind Glass(1978)」ではスピードメタルのひな型とも言える「エキサイター」をアルバム冒頭に配置し、「他にない個性」を主張します。

70年代、初期UKメタルにおけるツーバス疾走曲と言えば他にモーターヘッドのOverkillが著名ですが、エキサイターはモーターヘッドのOverkillより前に発表されているんですよね。ツーバスを使った曲はそれまでにもあったものの、疾走感や音圧を出すために前面に出した曲はこれが初めてだった気がします。オリジナリティを獲得し、商業的成功を収めるかと思いきや当時のUKはパンクムーブメントの最中、ハードロックには逆風でした。

もともと、UKのハードロックシーンはプログレやアートロック、クラシックもルーツに持つプロフェッショナル色の強いものでした。パンクはそれらを「時代遅れ」と揶揄した。「キッズ向けのロックと言うが、真似できねぇじゃねぇか」という破れかぶれのアティチュード。それが若者の支持を受けている時代に、ハードロックを進化させ、新たなヘヴィメタルを生み出そうとしていたJPは「時代遅れの若手バンド」でした。ただ、そうした逆風の環境が「より尖った新時代のメタルサウンド」を生み出す原動力となったとも言えます。今聞くと音質面の古臭さもあるエキサイターですが、1978年にこれだけ疾走感のある曲は他に見当たりません。

そして1978年には来日公演も実現。日本でJPは「新世代のバンド」として一定の評価を受けます。その時の映像がYouTubeにありました。この頃まではクィーンを彷彿させるひらひらの衣装を着ていますね。

翌1979年、「殺人機械Killing Machine」をリリース。ここで今につながるSMファッションというか「レザーファッション」を確立します。これによってビジュアルイメージも一新。

この頃になると一過性だったパンクブームもやや静まり始め、UKでもNWOBHMの萌芽が見られ始めます。ただ、本作まではまだ助走期間。最初に彼らが商業的にUKでブレイクを果たすのは1979年の2回目の来日公演を収めたライブアルバム「イン・ジ・イーストUnleashed The East」でした。本作でUK10位と初のトップ10チャートイン、バンドは勢いづきます。

UKメタルの確立、そしてHM/HR黄金期へ~「ブリティッシュ・スティールBritish Steel」から「ターボTurbo」まで(1980ー1986)

折からのNWOBHMNew Wave Of British Heavy Metalに乗りついに商業的にブレイク、「British Steel(1980)」で全英4位、全米34位を達成。UKメタルシーンの中で確固たる地位を築きます。UKではこのアルバムがJPの「代表作」とされることも多い印象。エキサイターでスピードメタルのひな型を提示したJPが今度は「ソリッドで切れ味鋭いプロダクション」を提示してみせます。これは80年代を通じてUKメタルの一つの規範となったと言える名盤。

ここから商業的快進撃が続き、「黄金のスペクトルPoint of Entry(1981)」、「復讐の叫びScreaming For Vengeance(1982)」、「背徳の掟Defenders of the Faith(1984)」、「ターボTurbo(1986)」とヒットを重ねていきます。また、80年代のUSにおけるHM/HRブームの第一陣としてUSへの進出も成功し、プラチナム(100万枚以上)の売上を連続してたたき出します。この頃が第一の黄金期です。

音楽的な変遷に簡潔に触れると、オリジナリティと存在感を確立したブリティッシュスティール、やや弛緩した内容ながらUS向けにポップ化した黄金のスペクトラム、再び気合を入れ80年代メタルを定義しその後のメタルに多大な影響を与えた復讐の叫び、同路線で完成度を高めたものの復讐の叫びの二番煎じと称された背徳の掟、「二番煎じ」と言われて新機軸を模索し、ギターサウンドをシンセサウンドに置き換えてみた(ただ楽曲の質は高い)ターボ、といったところでしょうか。

スピードメタルの祖として、スラッシュメタルへの接近~「ラム・イット・ダウンRam It Down」から「ペインキラーPainkiller」まで(1988ー1990)

ターボ」でシンセサウンドへ接近したJPはその反動かよりプリミティブなメタル、当時隆興していたスラッシュメタルやパワーメタルに接近した曲を何曲かリリースします。基本的には70年代から活動しているだけありミドルテンポの曲が主体のバンドなのですが、時々疾走曲を挟むのが特徴。「ラム・イット・ダウン(1988)」では疾走曲のタイトルトラックとロックンロールのカバー「ジョニーBグッド」を収録するという不思議な感覚を発揮。計算しているんだか行き当たりばったりなんだか分からないところがJPの魅力です。

そして1990年、日本では代表作とされる「Painkiller(1990)」がリリースされます。ドラマーが他のメンバーに比べると一回り若いスコットトラヴィスに変わり、ドラムの手数とサウンドが劇的に重化。強烈な攻撃性を持ったタイトルトラックを生み出します。日本ではこのアルバムがゴールドアルバム(10万枚突破)を獲得し、代表作扱いされていますが実は欧米ではそこまでヒットしていません。UKでの代表作はブリティッシュスティール、USでの代表作は復讐の叫び、というのが一般的ではないでしょうか。とはいえペインキラーは世界中のメタルバンドに衝撃を与え、ドイツのUDOタイムボム(1992)という思いっきりペインキラーに寄せたアルバムを作り、メジャーとの契約を失ったモーターヘッドバスタード(1993)という過去最高に疾走感のあるアルバムを作ります。ベテラン勢は「JPができるなら俺たちも」と奮起したアルバムだったと言えるでしょう。

これ以降はアルバムに1~2曲、いかにもメタリックな疾走曲を入れるようになりますがあまりライブでは演奏されません。ライブで演奏される定番の疾走曲はペインキラーと(昔からやっている)エキサイターぐらいで他はアルバムリリース時のツアーの時に演奏されるかどうか、といったところ。日本だとペインキラーが代表作となったため「JP=疾走曲」みたいなイメージも一部にある気がしますが、JPの曲の大半はミドルテンポです。ディープパープルやレッドツェッペリン、ブラックサバス、クィーンから繋がっているUKハードロック~UKメタルの系譜を受け継ぎ、進化させてきたバンドなので、疾走曲はその歴史の一側面。

ロブの脱退、モダンヘヴィネスへの接近、復帰~「ジャギュレイターJugulator」から「ノストラダムスNostradamus」まで(1997-2008)

Painkillerは日本では商業的にも批評的にも評価が高く、人気は最高潮に達していましたがUS、UKでのセールスはやや下降線。その中で看板ボーカリストのロブハルフォードがソロアルバム制作を始め、話がこじれにこじれてついに脱退に至ってしまいます。ロブハルフォードは新バンドFightを結成し、「War Of Mouth(1993)」をリリース。ロブ以外のメンバーがアメリカ人(JPは一時期在籍したドラマーを除けば全員イギリス人)の若手ミュージシャンで構成され、90年代初頭のグランジ・オルタナティブメタルへの急速な接近を果たします。

ただ、Fightはそこまで商業的成功はおさめられず、2枚目のアルバムを1995年に出した後沈黙。ギタリストのJohn5と組み、ナインインチネイルズのトレンチレズナーのプロデュースの元、インダストリアルメタルに接近した2woを結成、アルバム「Voyerurs」を1997年にリリースします。この頃はビジュアルも変化し、マリリンマンソンのような中性的でゴシックな雰囲気に。

2woの頃のロブハルフォード

そして、2wo時代のインタビューでロブハルフォードは自分がゲイであることをカミングアウトします。

一方そのころJPは新ボーカリスト探しに難航する中、グレンティプトンが初のソロ作「Baptism Of Fire」を制作、1997年にリリースされます。このアルバムはJPの次のボーカリストが決まる前(1994-1996)に制作されており、もともとはJPの次のアルバム用のマテリアルだったのかもしれません。リリースのタイミングがJP復帰作であるジャギュレイターと重なったことによりあまりプロモーションされませんでしたが、実のところその後のJPの音楽性のひな型を提示した重要な作品で、グランジ・オルタナティブメタルをグレンティプトンが取り込み、独自のものとして昇華していく過程がよく分かります。参加メンバーも豪華で(メタリカ加入前の)ロバートトゥルージロやビリーシーン、The Whoのジョンエントウィッスルらがベースで参加、コージーパウエルやニールマーレイがドラムで参加しています。あと、グレンの歌が意外と上手いというか、デイブムステインっぽいんですよね。

そしてロブハルフォードの後任としてティム”リッパー”オーウェンスを迎えた新生JPのアルバム「Jagulator」も1997年にリリース。ただ、この時にSonyとの契約を失ってしまい、リリースしたSPVが破産しているため現在に至るまでストリーミングには解禁されていません。新生JPもあまり評価を得られず活動はアンダーグラウンド化。2001年にアルバム「Demolition」をリリースするも活動が暗礁に乗り上げます。Burn In Hellなど一部新機軸を感じさせる佳曲もあるものの、全体としては何かがかみ合っていない印象です。

本体JPが暗礁に乗り上げている間、ロブハルフォードも2woの活動に限界を感じてヘヴィメタルの世界に戻ってきます。自身の名を冠した新バンドHalford名義のデビューアルバム「Resurrection」で2000年にその名の通り復活Resurrection。再びメタルゴッドとしての存在感を取り戻していきます。

そして、活動に行き詰っていたJPとメタルに回帰したロブハルフォードは再合流を果たし、復活作「Angel of Retribution」を2005年にリリース。復活を待望していたUK、USのファンから受け入れられます。ただ、これは劇的な復活とは言われたものの音楽静的には90年代後半以降のモダンヘヴィネスも引きずった音楽性で、やや中途半端な出来と言ったところ。Halfordでの復活劇の立役者であったロイ・Zが参加した「Deal With The Devil」は(半ばディフォルメされた)JPらしさが存分に感じされるものの、他の曲はややモダンなダークな色合いが残っています。

もともとブラックサバス的なドゥームさ、暗鬱さを持っているバンドなのでダークな雰囲気は持ち味なのですが、ちょっとこの頃のダークさって暗さの質が違うんですよね。あまり魔術的なものを感じないというか。旧来からのJPらしい風格を感じる一方、モダンヘヴィネスへの取り組みはやや中途半端なものも感じてしまいます。

次作「ノストラダムス」は初のコンセプトアルバムで2枚組。日本ではこのアルバムの存在感はあまりありませんが、USではそれなりに評価されているんですよね。リードトラック「ノストラダムス」はグラミーのメタル部門にノミネートされています。

このアルバムは「メタル・オペラ」なんですよね。だから、オペラティックな側面が出てくる。プログレッシブメタルやシンフォニックメタルにも接近したような作風ですが、、、個人的には単純に「長い」という印象。全体で一つの組曲になることを意識したそうですが、それぞれ単曲として印象が弱い。ただ、さまざまなアイデアが詰め込まれた意欲作なのは確かで、そのうち「これが最高傑作だ」と思うようになるかもしれません。まだ消化できていないアルバム。

ただ、このアルバムを作ったことで燃え尽きてしまったのか、年齢的なものか(当時メンバーは60歳に差し掛かる頃)、「引退」という言葉がバンドの中でテーマに上がり始め、引退ツアー「Epitaph」が企画されます。しかし「Epitaph」の準備中にツインリードギターの片割れ、KKダウニングが引退してしまいます。すでに決まっていたツアーを乗り切るため、JPは新ギタリストを探すことになります。

リッチーフォークナーの加入で第二の黄金期へ~「贖罪の化身Redeemer of Souls」から「ファイアーパワーFirepower」へ(2011ー)

メンバー募集の結果、新しく入ったのは20歳ぐらい若返ったリッチーフォークナー。彼が加入したことによりバンドの雰囲気は一気に明るくなり「引退という雰囲気ではなくなっていった」そう。そしてEpitaphツアーの終了後、新ラインナップでのアルバム「贖罪の化身(2014)」をリリースします。これが全米6位、全英12位に入る大ヒット。USでの過去最高順位を塗り替えます。リッチーフォークナーが入ったことで半端なモダンヘヴィネス色が薄まり、よりブルースに回帰したような作風が特徴的。さまざまな経験を積み、その経験を活かしつつ一部初心に戻ったような作風と言えるかもしれません。ロブの復帰作「エンジェルオブレトリビューション」も原点回帰的な色合いはありましたが、あれはどちらかと言うと「過去のオマージュ」という色合いが強かった。それより、もっと純粋に70年代的な空気感を感じさせるアルバムになっています。

そしてこの余勢を駆って次なるアルバム「Firepower(2018)」をリリース、こちらはUS5位、UK5位とUSの過去最高順位をさらに塗り替えます。今が第二の黄金期と言えるでしょう。音楽的にもこのアルバムは非の打ち所がない、さまざまな歴史を経て「Judas Priestらしさとは何か」を体現した理想のアルバムだと思います。

ただ、このアルバムの制作中にグレンティプトンのパーキンソン病が発覚。ロブハルフォードがグレンに捧げた曲がこちら。

自分の人生を生きているLiving my life, 虚勢なんかじゃない ain't no pretender
闘う覚悟はできているReady to fight, 降伏なんかしない with no surrender
No Surrenderより 訳はロブハルフォードの「告白」より

そして2022年、Judas Priestはニューアルバムをリリース予定です。


2.LGBTQアーティストとしての影響力と評価

Judas Priestの大きな特徴の一つは、ボーカリストのロブハルフォードがゲイであることをオープンにしているということ。USでの影響は大きいでしょう。2020年に出版された自叙伝「Confess」でも赤裸々にゲイであることの苦悩が綴られています。

基本的にメタルはマッチョで男性的な音楽です。日本ではなぜかメタルのガールズバンドが一定数存在し(Kawaii Metalとか嬢メタルとか呼ばれる。一例:BAND-MAIDLovebitesArdiousNemophilia他いろいろ)ますが、海外は稀。ボーカリストが女性、というバンドはいくつかありますが基本的には非常に男性的です。まして、LGBTQを公言しているアーティストは少ない。もともと音楽家(というか表現者)には一般社会より多くセクシャルマイノリティ存在していると思われますが、メタル界ではそれを公言しているアーティストはほとんどいません。他にもいないわけではありませんが、ロブハルフォードのようなメタル界のアイコン的な人間がオープンリーゲイであることの意義は大きいでしょう。

Metal Lords by Netflix

Netflixで「メタルロード」というメタルバンドをテーマにした青春コメディ映画が配信されていますが、その中で、ベーシストに女性を入れようと主張するドラマーに対して生粋のメタルヘッドとして描かれるボーカルは「女だって? そんなのを入れたらゲイじゃないか(メタルバンドらしくないからダメだ、の意)」と反対する。そういう「男たちの世界」的なものがメタルシーンのイメージである、とされているのです。ただ、そこで加入を断られたベースの女の子がその部屋に貼られているロブハルフォードのポスターを冷めた目で見ている、という描写がありなかなか皮肉が効いています。つまり、そうした「マッチョな世界」のど真ん中でロブハルフォードは一つのシンボルとして存在し続けている。

ロブハルフォードは自伝の中にこんなエピソードがあります。ロシア公演の際のエピソード。ロシアはUS以上に保守的で1999年まで同性愛は犯罪でした。そのため忌避感が強く、ステージ上でLGBTQに触れることを禁じられる。その時のことを回想し、ロブはこうつづります。

「ゲイであることを公表し、ただそこにいて、堂々と、誇りを持って、アリーナを満員にするヘヴィ・メタルバンドのフロントマンとしてロシアにいる。それこそがメッセージだった。(中略)俺はレインボーフラッグ(LGBTQを支持することを示す旗)を振り続ける必要はなかった。”俺が”メタル界のレインボーフラッグだ。」
ロブハルフォード自伝「告白」

ロックとは歴史的にマイノリティの心の叫び、抑圧された弱者の反抗の手段という側面があります。決して主流派ではなく、主流派、かつては良識ある大人から眉を顰められる若者の音楽だった。今やロックリスナーも歴史と共に年を取り「若者文化」ではなくなりましたが、「マイノリティが抑圧に反抗する手段」としての側面は失われていません。ことUSにおいては黒人音楽がBLMがテーマにするように、ロックはLGBTQや女性の権利を歌い始めている。より意識的に「少数派」にスポットを当てています。そのUS社会環境の中でJPはLGBTQアーティストとしても評価を得ているのでしょう。

フレディマーキュリーとロブハルフォード

UKロックのアイコンにしてオープンリーゲイと言えばフレディマーキュリー。ロブハルフォードより5歳年上であり、クィーンのデビューはJPより1年先。ただ、成功したのはクィーンの方がはるかに早く、ロブハルフォードはフレディマーキュリーにあこがれていました。なお「クィーン」というのはゲイの隠語。ロブハルフォードはデビュー時、当時のマネージャーによってロブ”ザ・クィーン”ハルフォードというステージネームを付けられて激怒したそうですが、定着しなかったとのこと。ただ、ロブがゲイであることはバンドメンバーや周囲には周知の事実だったようです。

さて、フレディマーキュリーにあこがれたロブハルフォード、初期は妹の服を纏ってステージに上がっていました。これはゲイとしての女装というよりクィーンやボウイのように中性的なイメージを出したかったのでしょう。初期JPのビジュアルは初期クィーンとの類似点があります。

初期のJP

また、歌詞のテーマもセクシャルマイノリティの悩みを歌ったものが多い。クィーンのボヘミアンラプソディも「抽象的で難解な歌詞」と言われていましたが、あれはフレディマーキュリーがゲイとして生きていくことを決意した詩とも言われています。同様に、JPの歌詞も抽象的で悪魔的、あるいは退廃的なイメージの歌詞が多いですが、ゲイとしての欲求不満、自分のセクシャリティを隠さなければならない不安と孤独感を歌った歌詞が多かったとロブハルフォードは自伝の中で告白しています。

音楽的、そして歌詞のテーマとしてロブハルフォードはフレディマーキュリーから影響を受けたり、あるいは共通するところがあったのですが、フレディも一時期ロブハルフォードを意識していたような節があります。というのも1979年ごろのフレディはロブハルフォードそっくりのステージ衣装を着ていたのですね。

この当時、クィーンの方がはるかにビッグなアーティストでしたがJPもBBCの番組に出たりしていたので相互に存在は知っていたでしょう。同じくSMファッションに着想を得た、インスピレーションの源が同じだっただけかもしれませんが、それにしてはロブハルフォードの衣装に似すぎています。おそらく「おっ、これいいな、ちょっと次のツアーでやってみるか」ぐらいの影響は与えたのではないでしょうか。フレディマーキュリーがレザーファッションに身を包むのはこのツアーだけですが、フレディもロブのことを多少は意識していたのかもしれません。

3.おまけ:最初に聴くのにおススメの5枚

JPは歴史が長く、半世紀の歴史の中で18枚のオリジナルアルバムを出しています。その中でまずおススメの5枚がこちら。

1.Firepower(2018)

2.Painkiller(1990)

3.Screamin For Vengeance(1982)

4.British Steel(1980)

5.Unleashed In the East(1979)

この記事をきっかけにJudas Priestに興味を持ってもらえれば幸いです。それでは良いミュージックライフを。


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