人生は螺旋階段を登るように進む。
最近はゆっくりとする時間がなくて、気づけばいつも仕事のことを考えてしまっていた。
でも今日は妻もいない1人の時間を過ごしている。
そんな日は話し相手もいないので、ゆっくりとしながら人生について考えてみる。
今日思ったことは、人生は螺旋階段を登るように進んでいるなということ。
「上から見たら同じことを何度も繰り返しているように見えるけれども、横から見たらちゃんと階段を上に上がっている」という感じ。
2年前に「この考えではうまくいかない」と一度は捨てた考えが最近になって「やっぱりすごく重要な視点かもしれない」と戻ってきている。
でも興味深いことに昔の考えがそのまま戻ってきたというよりかは2年間寝かせて再度タイミングが訪れて現れてきたような感覚だ。
私はこの感覚をなんというか知っている。
この感覚を思考における「発酵」と呼ぶのかもしれない。
なんでも発酵にすぐ結びつけてしまうから別の話を出す。
この螺旋階段のように物事が進んでいくことを哲学的に表現している人がいて、それが弁証法を生み出したヘーゲルだ。
難しい話をするつもりはなくて、ただ人生の螺旋階段について少し思考を深めようとしているだけなので、本質的には同じことを言う。
弁証法の中には「事物の螺旋的発展の法則」と言うものがある。
これは物事の進歩や発展は、右肩上がりの直線ではなく、螺旋階段をのボウル用に起こるよといく法則。
この法則の面白いところはちゃんと螺旋階段になっているので、同じところに戻ってきているように見えて、必ず一段高いところにいると言うこと。
つまり発展と原点回帰が同時に起こっている状態とも言えるだろう。
なんでここに結びつけられたかと言うと大学生のときに一時的に哲学にハマっていて、その中でヘーゲルも学んだからだ。
思うことがある。
忙しいとき、うまくいっていないときは螺旋階段を上から見てしまうなと。
「どうしてこんなに頑張っているのにまた同じところに戻ってきてしまうの?」ってね。
そんなときの私は人生が二次元の“円”にしか見えていない。
でもそんなに上から円にばかり気がとられていると実は三次元の“螺旋階段”だと言うことことを認識することすらできない。
だから今のそうなったときに「人生を少しだけ俯瞰してみて欲しい」と言いたい。
そうしたらばきっと自分の人生の時間が円ではなく螺旋階段であり、横から見たら上に上がっていますということに気づけるだろう。
今日思ったことは、人生は螺旋階段を登るように進んでいて、そう思えなくなったときは少しだけ自分の人生を離れてみてみて、ちゃんと螺旋になっていることを確認すればいいということ。
ここまで辿り着いてくださったあなたへ。人生で誰と出会い、どんな縁があるかはわかりません。でもそれを楽しむことができる人生こそが、発酵ある毎日だと私は思っています。サポートはみなさんとコラボするために使いたいので、意思表明としてお気持ちいただければ嬉しい限りです。