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FUKUSHIMA mon pays (福島 私の国)



どうして、福島

2021年4月、母が亡くなった。新潟の実家で49日の法要を行い、その帰路に米沢市経由で福島に泊まり翌日常磐自動車道で家に戻った。
10年前、2011年の3月11日も妻と実家で過ごしていた。実家には両親と共に私の次男が農業を志願して、既に修行をはじめていた。幼少のころ過ごした新潟を離れ、私に連れられてアフリカで過ごした息子にとって、落ち着いた日本の田舎はかけがいのない「地」になっていたのかもしれない。その後法人化はしたものの、日本の農業はなまやさしくない。当時は私も折を見て関東の家と新潟の実家を行き来していた。
突然の地震は50年前の新潟地震を彷彿させ、急所、千葉の家に戻ることにしたものの、交通機関は停止し、その後のニュースでは目を疑うばかりの光景が映し出された。
更に原子力発電所の被害は状況を一層悪化させ、福島は"FUKUSHIMA"となり海外企業の職員や留学生は帰国勧告を受けていた模様であった。

(続く)


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