コミュニケーション能力の起源について(1)―言語学編
コミュニケーション能力。最近だと「コミュ力」、あるいはそれが欠如しているという意味で「コミュ障」と略され、あまりに気軽に使われ過ぎているこの言葉は、そもそも一体いつどのようにして生まれたのだろうか?
端的に言えば、起源は二つあると思われる。一つは、アメリカの言語学者ノーム・チョムスキーが1965年に発表した『文法理論の諸相』で用いた「言語能力」という術語。そしてもう一つが、ドイツの哲学者ユルゲン・ハーバーマスが1981年に上梓した『コミュニケーション的行為の理論』である。ハーバーマスは、同書内では直接言及こそしていないものの、明らかにチョムスキーの用語から着想を得ている。
そして面白いことに、当初チョムスキーが用いていた「能力」という術語は、実は ability でも skill でもない。彼が使ったのは competence という語だ。skill や ability が単純に「上手くやる」能力である一方、compete(競争する)という語が由来となる competence は、どちらかと言えば「遂行する」能力や資格といった意味合いがある。実際、チョムスキーは話者・聴者が持っている言語についての「知識」の総体=文法こそが、この「言語能力」だと規定していた。噛み砕いて言えば、文法通りに話すスキルこそが、チョムスキーが言うところの「言語能力」の肝と言えそうだ。
他方で、チョムスキーの生成文法理論では、この「言語能力」とは異なる「言語運用(linguistic performance)」というものが想定された。こちらはどちらかと言えば「具体的な場面で言語を実際に使用する」ことに主眼があり、文法通りに話すことよりも、うまく意思疎通を図るための能力である。彼の論法に従えば、「うまく言語を運用するためには、正しく言語の知識を持っていなければならない」ことになるため、後者よりも前者の方が重視される。
この点については、社会言語学者のデル・ハイムズが早くから批判し、文法的な正しさが必ずしも時宜にかなう(approproateness)とは限らないと述べた。彼はチョムスキーの「言語能力」および「言語運用」をまとめて「コミュニケーション能力(Communicative Competence)」として再分類を行った。1972年のハイムズの論文が、「コミュニケーション能力について(On Communicative Competence)」ということから、同氏が「コミュニケーション能力」の語の先祖であると見なされることもあるようだ(ただし、この論考の元となった発表自体は1966年である。)。彼はチョムスキーを批判し、以下のように4つの分類を行うべきだと主張した。
①の形式的可能性(possiblity)とは、例えば「句点(。)」を用いることなく無限に文章を書いたりするような、文字通りの意味の「可能性」で、②の実現可能性(feasiblity)は、実際にコミュニケーションを行う際に息継ぎなしに話すことはできないとかといった限界といった意味での可能性で、③の適切性(appropriacy)は、広くとれば時宜にかなっているかとか、納得できる表現を使っているかといった意味のもので、④の遂行性(performability)は、行為の一貫性や、首尾よく反応を引き出せたかといった反応も含んでいるのだろう。
果たしてこのハイムズによる「コミュニケーション能力」の四つの要素が妥当なのかどうかは門外漢なので分からないが、(長くなったので)次回はハーバーマスによる「コミュニケーション能力」の話をしようと思う。
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