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街を知るためには、タバコを吸えばいい

禁煙してからもう二ヶ月経つ。一ヶ月以上も咳が続き、オマケに咳が原因で鼻血が頻発するようになってから、流石に「吸っていられない」となり、やめた。一応検査したところ別段何かヤバい病気に罹っていたという訳でもなかった。そのため症状が治まれば「また吸い始めるのではないか」と思わなくもなかったが、結果的に症状が治まっても特に吸いたいという気分にもならず、禁煙には普通に成功している。

さて、もちろん煙草は健康的にも財政的にも悪である。特に留保無しにそれは言っていいと思う。私が数年前に書いた「喫煙の効能について」という記事では、そうした前提から出発し、健康や財布に対してではない別の「効能」の可能性について触れていた。

その内容についてはあらためて説明するのは正直面倒なので各人に読んで頂くとして、ここではこの記事のタイトルについて説明を加えたい。どれほどの人数がこのタイトルに釣られて(?)やって来るのかは定かではないが、これはいわゆるアフォリズム(箴言)であり、自分で言うのも何だが極めてキャッチーな命題だと思う。そしてこの命題こそが、あの記事の最も伝えたいことであり、記事を書き始めた動機であった。結局「コレ!」というサイトの性質上、誤解の生じる可能性を徹底的に減らす必要があったため、アフォリズム単体は書かないことになった。とはいえ、やはりどこかに書いておかなければもったいないと思い、noteを最近始めたということもあって、今一度このことについて触れておこうと思ったのだ。

なぜ「街を知るためには、タバコを吸えば」いいのか。一見すると全く釣り合わないように見える主部と術部の関係こそ、アフォリズムの妙である。ここでは、その着想の起源を書くことで、「アフォリズムの作り方」のようなものをぼんやりと示せれば、と考えている。その具体的な話は別の機会でとは今のところ想定しているが、何にせよこうしたアフォリズムの作り方という話は「バズり過ぎないよう配慮しつつも、クリティカルな思考を伝えるための手段として的確ではないか」という発想から、書き記しておく価値があるのではないだろうか。

この「街を知るためには、タバコを吸えばいい」という命題は、もともとはアレ★Clubの副代表である市川のある発言に由来している。それは、なかなか部屋を片付けられない私に対して市川が言った「部屋を片付けるためにはメシを食わなければならない」という台詞だ。これも極めてキャッチーな命題ではないだろうか。

よく部屋の汚さを喩えるときに、「部屋のエントロピーが増大するから物が散らかっていく」みたいな話を聞いたことがあるだろうか。エントロピーとは熱力学や統計力学などで使われている概念で、大まかに言えば「乱雑さ」を意味している。つまりエントロピーが小さければ「部屋が片付いている」状態を指し、エントロピーが大きければ「部屋が散らかっている」状態を指す。

これを念頭に置いたうえで、市川はその増大したエントロピー(部屋にある散らかったモノ)を移動させるためには、それと同等の外部のエネルギーを必要とすることから、そのエネルギーを獲得するために、人間がとるべき行動として最も妥当性の高い手段こそが「メシを食うこと」と表現したのである。以上のような経緯で「部屋を片付けるためにはメシを食わなければならない」という命題が生まれたのである。さきほど私は「一見すると全く釣り合わないように見える主部と術部の関係こそ、アフォリズムの妙である」と、命題風に書いたが、この市川の台詞もまたアフォリズムとして極めて優れていると言えるのではないだろうか。

ともあれここまでアフォリズムの紹介に努めてきたが、次は具体的なアフォリズムの作り方についてもう少し論理的に書き記していきたいと思う。これらの要素を分析、一般化し、アフォリズムの作り方や読み込み方についても触れていけたらと思う。長くなりそうだし有料記事とかでもいいかなとも何となく思っているので、また次回。

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