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【SS】きらいになれない



   目の前に広がる大きな公園には、いつもたくさんの人が当たり前のように笑いあって、日常を刻んでいる。そんな公園の真ん中にあるこのレストランは、あたりまえのように繁盛している。

   オシャレな雰囲気が気にいって、と面接では言ったけれど、もう半年も経てば風景なんて気にしていられなかった。

「そんなに言うなら連れてってあげるよ、おいしい甘味屋」

   事の発端は、そんな言葉だった気がする。
   もうすぐバイトが終わるという17時頃。

   西日が照りつけるなか、レストランのくせに、まかないがないこのブラックなバイトで同僚たちと締め作業をしながら文句を言っていた時だった。

「今日暑くない?」
「賄い無いのまじで意味わかんないんだけど」
「おなか空いた」
   
   そんな言葉を飛び交わせながら皿のバッシング、テーブルの拭き掃除をしていた。


   やわらかなデニッシュの上に真っ白なアイスが乗っている。そしてその横にはちょこんと後付けされたような、さくらんぼ。

「ほんとにいいの?」

「うん、もちろん」

   ふわふわに焼かれたデニッシュは思った以上に切りづらい。フォークで押さえながら必死に生地を切っているとふっ、と向かい側から笑い声が聞こえる。

「切ってあげようか?」
「いや、いいです。からかってますか?」
「そんなまさか」

   二切れほどのデニッシュ生地を切ったところでようやくそのひとつを、アイスにつけて口に運ぶ。

   白く冷たすぎるアイスはなかなか溶けず、ほんのりとしかアイスの味はしない。

   アツアツのデニッシュと冷たいアイスの絶妙なマッチが売りのメニューらしいが、マッチも何も分離している気がする。
   やわらかなデニッシュだけを咀嚼すると、なんだか物足りないような気がした。

「珍しい形のマスクだね、それ。韓国のやつ?」

   澤村さんは砂糖を入れただけのコーヒーをスプーンでクルクルと混ぜながら私が取り外したくちばし型のマスクを見てそう聞いた。

「普通のマスクだと唇が荒れるから、これつけてるんです」

「へー、そんな意図があったんだそのマスク」

   うちにもあるよ、そのマスク。そう言って、コーヒーを啜った。

うちにもある?

   そんな言葉がぐるぐると頭を駆け回る。うちにある、こんな女性しか付けていないマスクが何故家にあるのか、そんな理由はひとつしかない。

   でも、分かっていても「澤村さんも唇荒れとか気にするんですね〜」といつものようにふざけることが出来なかった。

否定されるのが、怖かったから。

「仕事はもう慣れた?昨日はお客さんと楽しいそうに話してたよね」

   私がどう返していいかわからずフォークでアイスをつぶして遊んでいたからか、ありふれた質問を投げかけられる。

   昨日お客さんと話した話の内容や、店長の失敗の話をすればいつものように目にシワを寄せて本当に楽しそうに笑ってくれる。

   楽しく思えるその瞬間も、さっきの言葉が頭を離れることはなく、べったりとこびりついていた。

   私が半分ほどを食べ終えたところで澤村さんはふと思い出したように、私を見る。


「シロップかけないの?」

   かけた方が美味しいのに、そういって何が面白いのかニコリと笑いながら澤村さんはメープルシロップが入った瓶を私の目の前に置いた。

「これかけて太ったら、澤村さんのせいですよ」

   シロップをかけたら、皿が汚くなってしまうからかけなかったのに。

   そう思いつつもあの顔で勧められたら断るわけにも行かず、控えめにアイスの上からシロップをかける。
   冷たさを未だに保ったままのアイスは、シロップの仄かな熱でかけた途端に溶け始めた。

   先程までは食べ方が汚くならないようにと、小さく切ってちまちまと食べていたがもうそんなことはどうでもよく思えてきた。
   大きめに切り取られたデニッシュにたっぷりとアイスとシロップを絡めて口に運ぶ。
 

   甘くないデニッシュとほのかな冷たさをもつアイスがメープルシロップによって中和されていく。

「美味しいでしょ」

「はい、私これ食べて太っても後悔ないです。」

「ふふ、菜々子ちゃん幸せって顔してたよ」

   澤村さんはいつも、メガネがズレてしまうのではないか、そう思うくらい目に皺を寄せて、本当に幸せそうに微笑む。
   でも、私は知っている。
   この笑顔は本当に愛おしいと思う顔じゃない。この人の作られた笑顔、計算された顔。そんなこと、分かっている。

   男性は基本、複数の女性と関係を持ちたがるらしい。でもその中で一番と決めている女性と一番以下の女性では圧倒的な差があるのだとか。
   私は一番以下、二番でも三番でもない。ただのバイト。社員とバイト。十も年下の、バイト。ただそれだけ。

   この人はいつもこんなに笑っているけど、本命の前ではどんな顔をして笑っているのだろう。その笑顔を見ることが出来る本命さんはどれだけ、幸せなんだろう。

「菜々子ちゃんはいつも難しい顔してるからさー、たまには女子大生らしく甘いものでも食べないとね」

「バカにしてますね、女子大生を」

「そんなことないよー」

   この人にいくらムカついても、嫌いにはなれない。

   アイスの白色とメープルシロップの黄色が皿の上で交わっている。綺麗にしようと残ったデニッシュでからめとっても最後までそれは、皿の上に残り続けた。


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