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Xデザイン学校#1のリフレクション

はじめに

2022年5月14日。今日からXデザイン学校ベーシックコースが始まった。
初回はブートキャンプ。忘れないうちに学びをを書き残す。

Xデザイン学校での学びの性質

はじめに、Xデザイン学校での学びは知識ではなく、習い事やスポーツに近い学びだという話と、意外とそれまでのその人の生き方が新しい分野での成長を妨げになってしまうケースがあるという話を聞いた。また習い事の師匠やコーチはそれを指摘しやすいという話も聞いた。

これは去年CALで聞いたUnlearnの話だ。今日改めてUnlearnに関する話を聞いて、新しい知識を学ぶことに対しては単純にポジティブな気持ちでいられるけど、Unlearnと言われると構えてしまう自分に気づいた。これから1年、変わることを恐れずに進んでいきたい。

また、言い換えもUnlearnができていないことの表れになっているケースがあるという話を聞いて、XP(エクストリーム・プログラミング)の書籍の内容を、すぐスクラムに置き換えて理解しようとしていた自分の姿勢に気づかされ、反省した。

人間の経験や理解

コルブの経験学習に絡めて、経験値とは言うけど体験知とは言わないという話を聞いて、自分の中でちゃんと使い分けできていなかった「体験」と「経験」という言葉の輪郭がはっきりした気がした。

あと「理解力がない人は理解できなったとは感じず、自分の理解の範囲で理解した気になる」という話は初めて聞いたが、納得した。また先生の「学べば学ぶほど教えるのが怖くなる」という言葉も印象的だった。エンジニア界隈の「プログラミング完全に理解した」とか「ワタシハリナックスチョットデキル」とかのミームはこれだと思った。

体験と経験の話と理解力の話を結びつけて考えると、1回の体験を経験として人に語ってしまうことが起き得そうだと感じたので、その点は人の話を聞くときに気をつけたいと思った。

一方で発信する身としては、理解の浅い状態での発信を恐れてしまうと、フィードバックがもらえず成長できないので、それでも発信を止めてはいけないのだろうと思う。「発信は人の為ならず」と捉えて、これからも発信を続けたい。

人は一番得意なことにすがって判断をする

人は一番得意なことにすがって判断するので、直近の実務より学生時代の専攻などそれまでの生き方が重要という話を聞いた。この話を聞いたときは「ふーん」くらいに感じていたが、その後のアンカンファレンスと先生からのコメントを経て、自分が如何に過去の生き方にすがった判断をしているかを思い知ることになった。

アンカンファレンスでは、組織や戦略をテーマに挙げた人で集まってわいわい話をした。最終的に「これからはチームでやるのが大事な時代だからこそ、コミュニケーションのデザインをしていく必要がある」という結論に至った。字面だけ見るとどこかの本に書いていそうなことだが、メンバそれぞれの経験を重ね合わせた結果としてこの結論に至れたのはいい経験だった。ただその話と講義で出てきたアート思考の話がうまく結び付かなかったので、先生に質問をして回答をいただいた。
回答には納得したが、今度は自分がなぜアート思考を学ぶのかがわからなくなったのでそうコメントしたところ、改めて先生に回答をいただいた。

こういった先生とのやりとりを経て、自分は実は「プロセスが決まっていないものは学びようがない」と思い込んでいたことを気づかされた。

白状すると私はこれまで、母方の家系に芸術・芸能関係の仕事をしている親戚が多いという、ただそれだけの事実を持って、自分は他のエンジニアとは違い、アーティスティックな判断(前提に囚われない、本質に基づく判断)の素養があると思っていた。

今日の講義と先生とのやりとりを経てわかったことは、結局自分はこれまでエンジニアとして生きてきたことで、論理的なものにすがって判断をする人間になっていたということだ。(本質や哲学を見抜けず、原則やプロセスに基づいて判断している自分に気づいたが、これはエンジニアだからというより、単に自分が未熟なだけと思う。)

今日1日で色々なことに対する学びが深まったが、何に対する学びが一番深まったかといえば、己に対する理解が深まった。そして「自分がどんな未来を創造するかを考えることが大事」というメッセージにやっと向き合えるようになった気がする。これからの10ヶ月、この問いと向き合う。

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