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わたしの根底にあるもの


最近、いろんな大人と関わることが増えてきた。
そのなかで、わたしが大切にしたいものを、今はまだ表現しきれないけれど、自分の想いとして書き留めておくのもいいのかもしれないと思い、ここに書き記していく。
これから変わるところも変わらないところもあると思うけど、これが、25歳の等身大のわたし。

"やりたいことなに?"

よく聞かれる。というか、わたしもよく聞いてしまっている。
分かりやすいし覚えてもらいやすいから「深夜の定食屋」と答えている。
でも、それだけじゃ表しきれない。わたしが見たいものは、その言葉だけじゃ足りない。

最終的には、たった一瞬だけでも、美しくて尊いもの、そんなものをだれかと紡いでいけたらいいなと思っている。
だから、たった一瞬だけでも、美しくて尊いものを紡ぎだす関係性、をつくりたいのかもしれない。

その関係性をつくるひとつの手段に、「深夜の定食屋」がある。


わたしは、社会の「普通」や「常識」に捉われて自分らしく生きられていなかった時がある。
私は大学時代の友人達と3年のブランクがあるため、周りと違う自分、一般的な大学生じゃない自分に、どこか焦りと孤独を感じていた。

当時関わっていた人たちが望む(わたしは少なくともそう感じていた)わたしの姿にはなりきれなくて、そのギャップに苦しんでいた。

そんなとき、わたしを救ってくれたのが祖母の存在だった。祖母の家に遊びにいったとき、祖母と話すことは、就職の話でもない、大学の話でもなく、近所の迷惑おばあちゃんに困ってること、ちこちゃんが今日もおもしろかったこと、今日のお昼は昨日の残りがあるからそれでもいい?てこと、こんな話ばかりで、ただただ祖母の生活のとなりにわたしがいただけだった。
でも、それだけでよかった。
まだ何者でもないわたしを、何者かであろうとしなくてもいいと、わたしはわたしでいいんだと、そう思わせてくれた。

わたしにとって、祖母との時間は、かけがえのない、美しくて尊い時間。
いつも帰りには暇を持て余しすぎるけど、それでもまた触れたいと思う。


そこにあるものはなんなのか、祖母とわたしとの関係性だ。
あなたはあなたのままでいいと、それだけで魅力的だと、そう思わせてくれる存在がいることが、なによりの救いであった。
そんな、あなたと誰かとの関係性が、あなたがまた明日を生きてみる温度になるんだと、わたしは思っている。


わたしは、だれかにとっての「おばあちゃん」になりたい。
孤独な夜を越えるための、あなたにとってのおばあちゃんになりたい。
大学生とか、大人とか、教師とか親とか社長とか、そんな肩書きなんてどうでもいい。
あなたはどんなひとなの。なにに興味があるの。なにがすきなの。どんなときに怒るの。


ただお腹をすかせただけの人も、帰り道にふらっと入ってみただけの人も、誰かと話したくて来た人も、一人になりたい人も、孤独な夜をひとりで越えたくない人も、そうじゃない人も。
生きづらさを感じているあなたが、ちょっとだけ、前向きになれるかもしれない夜を、わたしは届けたい。
美しくて尊いもの、永遠ではない、脆くて壊れやすい、でも、たしかにそこにあるもの。
その一瞬をつくりたい。

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