見出し画像

あなたとわたしの関係|47キャラバン#42@京都|あやの|大学生

今回のキャラバンは、こういう大人でありたいと、そう思わせてくれる、2人の大人との出会いがあった。
わたしが感じたものを、2人の言葉を借りて、表していきたいと思う。

・鎌部さん

京都駅から車で2時間弱、途中から山とトンネルしか見えなくなり、山のなかをひたすら走り、待ち合わせの場所に着いた。高橋さんは雨の中、農家さんのところに一目散に駆けつけて、挨拶をしていたのがとても印象的だった。

今回訪れたのは、綾部で主に米を作っている鎌部さんだ。住んでいるのは京都市内なので、往復4時間程の道のりを通っているらしい。
鎌部さんの畑。見えてる範囲、全部わたしの畑だよ。そう言われてびっくりした。写真には写りきってないが、この右側にも同じ景色が広がっている。

画像1

鎌部さんの住んでいる綾部は、山に囲まれ川もあり、少し行けば舞鶴など海にも出られるみたいだ。家のすぐ裏に山があるので、猿猪鹿などが山から降りてくることもしばしば。畑には対策用の柵が張られているが、逆サイドは何もなく、動物たちが侵入した痕跡が残っていた。

よく猿が降りてくるらしく、家にお供えされてある鏡餅の上に乗せたみかんを食べにきていたことがある。それも1匹2匹の話じゃない、何十匹とだ。そんな話を、鎌部さんはけたけたと楽しそうに笑いながら話してくれた。そこからも、鎌部さんの人柄が伺える。

食事をとりながら、鎌部さんの息子さんの話、今までの人生の話をきいた。考えられないくらい壮絶なのに、すんごく笑顔で、笑いながら話してくださった。

画像3

(左から真緒さん、お茶目に話してくださる鎌部さん)


鎌部さんは、農福連携にも取り組んでおられた。鎌部さんにとっての農福連携は、いわゆる農業者として生計を立てて自立していくためだけではなく、「農業をきっかけに社会にでる、その一歩の場所でいい。一歩が出せたら、その人に合う場所をまた見つけていけばいい。」そうやって、社会に一歩出るきっかけの場所として、農業を捉えていた。

その話の中で鎌部さんは、「それでいいじゃん」と何度も仰っていた。「朝起きれなくて働けないなら、夜できる仕事をすればいい。今いるところが合わないなら、別のところに行けばいい。それでいいじゃん。」と。


わたしは、周りと違っていたり、社会の一般的から外れている、いわゆる、"普通じゃない道"を歩んできている。ずっとそう思い、どこか生きづらさを感じていた過去があった。今も完全にないとは言い切れない。

でも、鎌部さんのこの言葉に、鎌部さんの人柄に、あの時の私が救われた気がして、気付いたら、涙を流していた。ああ、この言葉に出会いたかったんだと。あなたはあなたでいいじゃん。それでいいじゃん。って。


・高橋さんの講演

画像2

約2時間、ノンストップで高橋さんの講演を聞いた。胸がいっぱいになった。聞いてる最中、何度も涙が溢れた。自分の言葉としてまだ表しきれてなくて、咀嚼しきれてなくて、でも、受け取ったものはたしかにあった。

外集団均質化バイアス

高橋さんは、珍しくむずかしい言葉を使った。内の人は、どんな人がいるのかを知っている、いろんな人がいることを知っているが、外の人たちのことは知らないから偏見が生まれる。でも、生産者っていう名前の人は一人もいない。消費者っていう名前の人も一人もいない。誰もが名前を持ち、親兄弟がいて、好きなこと嫌いなことがあり、得手不得手がある。みんな同じ人間なんだ。生産者も消費者も、みんな同じ人間なんだ。そのことを知らないから偏見を抱く。知らないのが問題なんだ。

ちゃんとしろ

わたしは親にそう言われて育った。だから、ちゃんとしないとって思う自分と、なんでちゃんとしないといけないの?ていう自分がいる。なんで周りと同じことをしないといけないのか。なんで普通にしないといけないのか。

でも、高橋さんは違った。「ちゃんとしなくていい。」そう伝えてくれた。

人間が創り出したものは、ちゃんとしてる。でも、自然はちゃんとしてない。自然はどうにもならないから、それを受け止めるしかない。工業的で効率的で、理詰めされた生活の中で生きている私たちは、ちゃんとしているものの中で生きている私たちは、ちゃんとしていないとって思わざるを得なくなる。でも、ほんとうにそうなの?

そうじゃない。ちゃんとしなくていいし、効率的じゃなくていい。大切なものは、そんなきれいごとの中にはない。もっと手間がかかって、時間がかかって、コンピューターとなんかじゃない、人と人との間に、人間としての関係がある。人間とは、人の間と書く。今、その間が失われている。つるつるした人間関係になってしまっている。でも、だいじなのは人と人の間なんだ。本来は、そんなつるつるしたものじゃない。もっと複雑で、白黒はっきりできるものじゃなくて、非効率なものなんだ。あなたとわたしとの関係。そこに、なくしちゃいけない、大事なものがある。


今を生きろ

今の時代は死のリスクを感じることがほぼない。安心で溢れすぎて生きるリアリティがない。高橋さんはそう仰った。明日死ぬかもしれないと思って生きろ。今しかできないことをしろ。今を生きろ。

今を生きるって、何でも手に入って何不自由なく生きていける時代に生まれた私たちには、少しむずかしいことなのかもしれない。だって、自分が死ぬなんて想像できないから。何も考えずに生きていても、生きられてしまうこの世界で、死のリスクなんて感じない。生きていることも感じない。

わたしは2年前にセネガルに行ったことがある。そこでの日常は、今を生きている、そのものだった。Googleマップで見たら歩いて5分で着く道も、そこでは30分もかかる。みんなが話しかけるからだ。元気?家族はどうしてる?村のみんなは?仕事は順調?もうみんな同じこと聞きすぎだし、全然進まない。
浜辺にいると、サッカーをしていた子供たちが、突然缶のゴミと木の枝を持って音を奏で始めた。それに合わせて周りの子供は歌い出す。そこに居合わせた子供も歌い出す。なんて自由なんだ。

彼らは今を生きていた。その時間、目の前にいる人との関係性を築き、大切にしていた。彼らにとってのなんてことない日常が、わたしにとってはとても眩しかった。


今、わたしは彼らのように今を生きているのだろうか。

周りがこう言っているから、みんなそうしているから、そんなことで自分の今を失っていないか。

失敗するのがこわい。そんなことできないって、普通に生きなさいって言われるかもしれない。でも、わたしの心が叫んでる。自分はこうしたいんだって叫んでる。こうありたいんだって叫んでる。

その心に従って、生きていいんだよ。
ちゃんとしなくていいんだよ。

高橋さんの生き方が、人との向き合い方が、そう伝えてくれてる気がした。ありがとう。

自分の中でもやもやしたものがクリアになって、前に進む決心がついた。


今回のキャラバンは、こういう大人でありたいと、そう思わせてくれる、2人の大人との出会いがあった。
鎌部さん、高橋さん、関わってくださった全ての方に、感謝。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?