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とにかく腰掛ける菅原道真

菅原道真は詩歌の才に優れ、宇多天皇の忠臣として右大臣までなるも、政変により大宰府に左遷。非業の死を遂げた。
のちに怨霊となり祀られ、以降天神・学問の神として今も親しまれている。
菅原道真を祀る天満宮は全国に1万2000社にも上るそうだ。

そんな菅原道真が腰掛けたとされる石が全国にある。
いわゆる「菅公の腰掛石」だ。

「腰掛石」は歴史上の著名人が腰掛けたという伝承のある石のことで、皇族・武将・高僧など様々だが、中には神や天狗が腰掛けたとされる石まである。
そんな「腰掛石」は全国に点在するが、特に菅原道真に関する石が多く存在することに気付いた。
道真はやたらと手ごろな石に腰掛ける
今日はそんな話。

ざっと調べても25か所もある「菅公腰掛石」

菅原道真が腰掛けたとされる石は、Googleで検索して調べただけでも、北は滋賀県米原市、南は鹿児島県薩摩川内市まで全国25か所(厳密には24か所と「腰掛松」の跡地が1か所)も存在する。
同じく腰掛石の伝承が多く残る源義経ですら8か所程度であることからみても突出した多さだ。
そのほとんどは神社の境内にあり、道真が大宰府に向かう道すがら立ち寄った際に腰掛けたとされる石が祀られている。

物語を感じるそれぞれの謂れ

それぞれの「腰掛石」の謂れには物語があり、単に身体を休めたというだけではなく、そこには腰掛石を祀った人々の、意に反して左遷される道真への同情や無念さへの共感が感じられる。また、各神社の名称が道真の行動から付いているのも興味深い。

  • 仁和寺:九州に旅立つ前日、お世話になった宇多天皇に別れを告げるため、宇多天皇の帰りを待つ間腰掛けた石。

  • 文子天満宮:大宰府に下る途中、乳母の多治比文子に会うために立ち寄った際に腰掛けた石。

  • 腰掛天満宮:大宰府に下る途中、道明寺に住む伯母・覚寿尼に別れを告げる途中で諏訪神社に参拝した際に腰掛けた石。

  • 船待神社:大宰府に下る途中、船を待つ間腰掛けた石。

  • 休天神社:大宰府に下る途中、道真が讃岐守の頃から知己であった明石の駅家の駅長に会った際に腰掛けた石。

  • 御袖天満宮:大宰府に下る途中、休息のために腰掛けた石。町民に歓待され感激した道真は、自身の着物の片袖と自画像を記念に残し、それがご神体となった。

  • 辰岡天満宮:大宰府に下る途中、瀬戸内海で船が難破した際に立ち寄り腰掛けた石。

  • 菅原神社(出水市・薩摩川内市):左遷された際、後難を恐れてこの地方まで逃れたという伝説があり、その際に腰掛けた石。

菅原道真の「腰掛石」の多さは、天神信仰としてのご利益もさることながら、それだけ非業の死を遂げた道真への愛惜の念があると言えそうだ。
人々の想いが道真を腰掛けさせた。そんなようにも思えてくる。

判官贔屓と日本人

才能がありながら政変により非業の死を遂げた道真。
日本人はこの手の話に弱い。
道真より後の時代に、「判官贔屓」という言葉が生まれるほどだ。

判官贔屓とは、「不遇の英雄、弱者や敗者、また実力や才能はあるのにしかるべく待遇のえられない者たちに同情心や贔屓心をもつこと」を指す言葉で、元は源義経の後半生と非業の死から生まれた言葉だ。

道真も同じ系譜であると感じられる。
左遷の移動費は自費であることや、移動後も俸給や従者は無く左遷から2年でこの世を去ったことなど、民衆の同情を誘う要素は多い。
その死が惜しまれ、鹿児島まで逃れたという義経ばりの「生存伝説」があるところまで似ている。

江戸時代から高い人気の「忠臣蔵」や、今でもドラマなどで見られる「叩き上げの所轄刑事と県警のエリート」なども同じ構造を持つ。日本人は古来より権力者より弱者を応援したがる傾向にあるのだろう。

「腰掛石」と信仰

ある種の自然石を神霊の宿るものとして信仰する文化は世界各地に存在し、日本でも「古事記」「日本書紀」「出雲国風土記」などにその信仰を見ることが出来る。
「腰掛石」も、当初神が訪れる(腰掛ける)場所と祀られ崇められていたものが、時代が下るにつれ石への信仰心も弱まり「触れることでその霊力(ご利益)を得ることが出来るもの」に変質。その対象も神から歴史上の人物へと、より親しみの持てる近しい存在になったのだと思われる。

石には限らないが、現代にも著名人や作品のゆかりの地を巡る「聖地巡礼」があり、著名な人物の在りし日や作品に思いを馳せるという、ある種の「信仰」が存在し続けている。

そして伝説へ

天神として祀られて以降、1000年に渡って親しまれる道真。
現代では主に「学問の神様」として認識され、カンコー学生服の社名(菅公学生服株式会社)になるなど意外なところまで浸透している。
それだけにとんでもない伝説も多く、天神の神紋で多く使われる梅は、大宰府に左遷された主を思い、京都から一夜にして飛んで行ったという伝説(飛梅伝説)があり(ちなみに一緒に飛んだ松は途中で落ちた)、同じく天神の神使とされる牛は、左遷された道真を泣いて見送ったという。
他にも道真は天女から生まれたとか、梅の種から生まれたといった伝説までもある。
こんな伝説が数多く残るのも、道真が日本人の心の機微に触れ、親しまれてきた証左なのかもしれない。

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