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「自分の自由を守るための絶対条件」―山田康雄

その日

28年前。1995年3月19日午前6時35分、山田康雄はこの世を去った。
当時の新聞記事によれば、臨終には家族も間に合わず、ひっそりと眠るように旅立ったという。訃報は遺族の意向で夕方まで控えられており、報道陣が自宅に詰めかけたのは、日が暮れてからだったようである。
記事によっては「降りしきる小雨」という表現があるが、気象庁のデータでは降ったのは20時前後のみのようだ。
亡くなったのは今日と同じ日曜日で、その死は主に翌20日の朝に報道されたが、この日は午前8時頃に地下鉄サリン事件が発生。以後報道はオウム真理教関連が中心となったため、山田康雄の訃報を後に知ったと言う人が多かったのは有名な話である。

本日

本日3月19日の放送回をもって、ダウンタウン松本人志が「ワイドナショー」を卒業した。理由は様々に憶測されるが、ネットニュースでの切り取り記事の横行に疲弊した面が強いように思えた。
ネットニュースやSNSの拡散による炎上や、いわれのない誹謗中傷は後を絶たない。ニュースサイトはアクセス数稼ぎの印象操作するような記事ではなく、報道倫理を守るべきだし、SNS等で発信する一般ユーザーも、発信する以上は個人の人格否定や印象・噂レベルでの誹謗中傷は控えるべきである。また、過度な正義感や倫理観による言論・思想の押し付けも避けるべきだ。

結局、この見えない敵との戦いが松本を疲弊させ、松本卒業とともに他のワイドショー番組と一線を画していたこの番組をつまらないものにさせてしまうのではないか。

自分の自由を守るため

かつて山田康雄もアニメファンから「お叱り」を受けた。
それは「宇宙戦艦ヤマト」(劇場版/1977年)から始まるアニメブームを「くだらないといってしまえばミもフタもないが、とにかく異常だ」と山田がコメントしたところ、「アニメをくだらないといわないで下さい」「私たちにとってアニメはかけがえのないものなのですから」と「お叱り」を受けたのだと言う。

ファンからすれば当然の主張であろう。
ファンから見た山田康雄はアニメに携わる人間であり、自分たちファンに近い存在だと思っていたはずである。それを「くだらない」「異常だ」と言われたらファンとしては悲しい。
だからと言って「くだらないと言うな」と強要することは出来ない。

この件について山田は以下のような信条を書いている。

 いまだにその件でお叱りをうけたりしている。だからといって、エクスキューズやいいわけをする気はまったくない。
 たしかにオレは役者だ。
 でも、芸能人にだって本音をいう自由ぐらいはあるだろう。
 オレだってガキじゃないんだ。ファンの人に喜ばれるような優等生的発言ぐらいできるさ。
 でもそればかりしていたら、息苦しくなって、結局はオレ自身がつぶれちゃうんだ。
 世の中って、いろんな考え方の人が集って成り立っているんだ。それでいいんだよナ。
 全員が同じ考え方になったら危険だ。
 ファッショへの行進がはじまる。
 オレはヒトサマがどんな考え方をしようが干渉はしない。
 それが自分の自由を守るための絶対条件だからだ。

アニメージュ '79年9月号(徳間書店)より

戦中・戦後に多感な時期を過ごした山田らしい言葉だ。
そして、この山田の言葉は、時を超え松本の気持ちを代弁しているようにも感じられる。

今、社会は多様性を認めようとしている一方、正義感・倫理観の押し付け、ある一方の主張のみ過度に称賛・あるいは非難される傾向があるように思う。
今は一つ一つの小さな事象についてそれらが発生しているだけだが、それこそ国家を巻き込む有事となった際、この国の言論は、簡単に「ファッショへの行進がはじまる」のではないかと危惧する。

見出し画像について

今回の見出し画像は、「テレビジョンエイジ 3月号」(1972年3月/四季出版新社)より抜粋。ちょうど「ルパン三世(TV第1シリーズ)」が放送終了した頃の山田康雄である。

「テレビジョンエイジ」は「外国TV映画の専門誌」のため、「吹替声優」として山田康雄のインタビューが掲載されているが、この頃はまだ自身とクリント・イーストウッドには似通った部分があると発言している。
以降、「ルパン三世(TV第2シリーズ)」(1977年~1980年)で再びルパン三世役を演じると、「イーストウッドはどんどん男臭い俳優になって軽い自分とは合わない」と発言するようになる。

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