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差別に対しての自問自答

30年も前の話。
転校した先のクラスに知的障がいを持つ子がいた。

その子は知的発達に多少の遅れがあり、周りの空気を読んだりすることも苦手だったので、一般的に想像される「いじめ」ほどではないものの、クラスメイトからは軽んじられ、からかいの対象になっていた。

おそらく、入学当初からの人間関係によってそういうスクールカーストのようなものが生まれ、私が転校した頃にはすっかり常態化していたのだと思うが、転校したばかりの私にとっては、その光景にひどく違和感を感じたのを覚えている。

その半年後、各クラスから希望者を募って、運動会の鼓笛隊が作られることになった。障がいを持つその子は、普段から負けん気の強い子で、他のクラスメイトと同じことをしたいと思ったのか鼓笛隊に志願した。

しかし担任の教師は何度かその子と会話し、最終的に「また今度にしよう」と言って鼓笛隊を諦めさせた。
普段、どんなにからかわれても明るい調子を崩さないその子が、悔しそうに涙を零したのが忘れられない。


当時少し独善的なところのある担任に、「また今度」なんてあるわけない、と憤りを感じたりしたが、今となっては教師の判断も分からなくはない。

鼓笛隊は、隊列を組み楽器を弾く必要がある。おそらく障がいを持つ子が足を引っ張ることになる。自分のクラスの中だけならまだしも、練習時間も限られる中、各クラス混成の隊で他の先生方に迷惑をかけられない。そう思ったのではないか。
本人に諦めさせて「穏便」に済ませるというのが、担任の判断だったのだろう。

もちろん、何らか本人の出来る形で鼓笛隊に参加させる方法もあったと思う。その点、担任は面倒臭かったのかもしれない。

クラスメイトのからかいに違和感を覚え加担しなかった私も似たようなものだ。
他の生徒と違いからかわなかったためか、ほどなく私はその子に懐かれた。
しかし、転校生という「浮いた」状態を早く無くしたい私にとって、それは歓迎すべき状況では無かった。私もからかいの対象になることを避けたかったからだ。
結果、その子に対してつかず離れずの中途半端な態度を取り続けてしまった。


近年、あらゆる差別を無くそうと国や企業だけでなく、個人も様々にそういうことに関心を持ち、意見し、行動する時代となった。
それ自体は良いことだし、進歩だと思う。
しかし、実態としてはどうか。

自分に関わり合いが無い時に大上段に正義や理想を振りかざすことは簡単だが、実際目の前に直面した時、同じことを言えるだろうか。

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