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「クライ・マッチョ」―老境のイーストウッドが放つ人生賛歌

鉄は熱いうちに打て、感想は熱いうちに書け。ということで、昨日、第34回東京国際映画祭のオープニング作品として上映されたクリント・イーストウッド監督の最新作「クライ・マッチョ」の感想を書きたいと思う。

ハリウッドの生きる伝説、クリント・イーストウッド監督の第40作目にして、監督業50周年に公開される映画「クライ・マッチョ」。

ストーリーは、老いたる元ロデオスターと少年の交流を通じて、人生における「本当の強さとは何か」が描かれるロードムービーである。

※以降ネタバレを含みます。公開前の作品ですので、ネタバレを嫌う方はここで読むのを止めておくことをオススメします。

まず驚かされるのは、世界的なコロナ禍にあって、制作ペースが鈍ることなく何事も無かったように作品を発表するタフさ。そして、齢91歳にして未だカメラの前に立ち演じることが出来るタフさ。彼こそが真の「マッチョ」ではないかとファンとして歓喜しながら舌を巻く。

イーストウッド、カウボーイとなって馬に乗る

公開されているポスター・予告等にあるように、イーストウッドは「許されざる者」(1992年)以来、カウボーイハットを被り、馬に乗る。

これだけでもうこの作品を見る価値はあるというものである。

作中の時代は1980年ということで、西部の世界では無いが、昔気質のカウボーイとしての魅力は作中で存分に描かれる。元ロデオスターで、家族を失い落ちぶれているという、ある意味おなじみのキャラクターを演じながら、かつての役ほど頑固親父ではなく、少年や動物たちに向ける優しい眼差しは、役を超えて本人の持つ魅力が滲み出る。

イーストウッド、ドリトル先生になる

作中、少年を「誘拐」する形となり、「アウトロー」となったイーストウッド演じるマイク。その逃亡先として身を寄せたメキシコの小さな村で、マイクは調教師の手腕を活かし、馬の調教からあらゆる動物の面倒を見ることになる。緊迫感のある逃亡劇の途中で、とてもユーモラスに語られるこのシーンは最近のイーストウッド主演作品で見られる、肩の力を抜いた微笑ましいシーンとして記憶に残る。

イーストウッド、やっぱりモテる

「運び屋」(2018年)で美女とベッドを共にするシーンがあったことは記憶に新しいが、90歳を超えて今回も美女にモテる。逃亡先で出会ったメキシコ人のマルタは言葉は通じないが、心は通じ合う相手となるのだ。人種・言葉・生い立ち・状況など、全てを超越した「人間」同士は本能的に繋がるものであり、何物にも代えがたく感動を呼ぶものである。

イーストウッドの行く先は

イーストウッド監督作品には、共通したテーマのようなものが複数内包されている。これについての詳細は別記事にまとめているので割愛するが、このテーマは本作でも継承される。本作が「少年」「ロードムービー」ということで、「センチメンタル・アドベンチャー」(1982年)や、「パーフェクトワールド」(1993年)を想起されるファンも多いと思うが、本作もその系譜にあることは明らかである。

その上で、監督の年齢からか、作品はより慈愛に満ちた「人生賛歌」となっている。これまでアウトローを演じた時代から、作中の「事件」を解決したイーストウッドは人知れず去っていく存在だった。しかし本作では、愛すべき新しい「家族」の下に帰還する。それは自らの安住の地を見つけたという以上に、これまで置き去りにしてきた家族に向き合う「マッチョ」さの体現なのかもしれない。

「Cry Macho」の持つ意味

「Cry」と聞くと日本語訳的に真っ先に「泣く」という言葉が浮かび、「Macho」と聞くと「筋肉美」を想像することが多く、何となくおかしなタイトルに思える。しかし、「Macho」は男性が持ったり憧れたりする「強靭さ・逞しさ・タフさ」の信条のことで、それは肉体的な意味ばかりでは無い。真の強さとは、肉体的な優位性や攻撃性なのではなく、精神的にも柔軟でいかなる状況でも屈しない「強さ」なのだろうと思う。

イーストウッド監督は、東京国際映画祭に寄せたコメントで、以下のよう語っている。

この映画を通して、私が信じる"本当の強さ"を感じてもらえるとうれしいです。『クライ・マッチョ』はコロナ禍に撮影されたものです。私は本作が映画業界に、勇気と強さをもたらす作品の一つになればと思っています。

「Cry」には「感情をあらわにして叫ぶ」という意味があり、「Cry Macho」は多様化・人種差別・世界的なコロナ禍など様々な場面で弱くなってしまいがちな現代人の心に対して、「強くあれ!」とエールを送っているのではないだろうかと思う。

高齢でさすがに背中も少し曲がり、往時より融通が利かないのか、カット割りで補った部分もあるように思える点もあったが、彼が2本の足で屹立する姿は、未だに観客に勇気を与えてくれる。どうか少しでも長く監督業を続け、一作でも多く我々に素晴らしい作品を提供して欲しいと切に願う。


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