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上野恩賜公園の桜が満開だ。ここ数年、桜の季節は上野に来ている。今年はコロナウイルスの影響か人は少ない。今週末は雨の予報が出ているから、おそらく今が見頃なのだろう。

見頃、と書いたけれど、私は散り際の桜がもっとも好きだ。上野駅から上野東照宮まで歩いて、ライトアウターの下にうっすらと汗をかくような風が吹いている。ひらひらと名残惜しいように舞う花びらを捕まえて、桜笛をならす。ピーッっと高い澄んだ音がしたり、ブルブルブルッと鈍い音がしたりして、花びらは破れる。花びらを捕まえるたびに今年最後の桜笛かなぁ、なんて少し寂しくなって「またね」と独り言をつぶやく。

私は「さようなら」ってことばが嫌いだ。子どものころ、帰りの会で毎日言わされていた「さようなら」は、大人になると「またね」とか「お疲れさま」に取って代わられる。大人の「さようなら」は、永遠の別れであることが多いから、嫌いだ。

私が、桜の散り際がもっとも好きなのは、また来年も咲いてくれるから。今年の桜が今生の別れだったら、そうは思えないだろう。人との別れも、生きてさえいればまた会えるとか言うけれど、意外と、死んじゃったり、忘れてしまったりする。

来年になればまた、上野に桜が咲いてくれる。そうすれば、1年後にまたひとつ歳を重ねた私は、上野の桜に会いに来られる。

桜って、珍しい花でもない。なのになんで愛でるのかというと、この季節に出会いや別れが仕込まれていて、脚本によって価値を与えられているからだとおもう。

桜って、すごい。

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