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手紙

子供のころ父の言い付けで、田舎に住む母方の祖父母に向けて季節ごとに手紙を書いた。母の記憶が無く、滅多に会わないその人たちとの関係性も理解できてない幼い私は祖父母に対して何を書けばいいかわからず、それはそれは憂鬱な作業だった。

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私が成人して直後の、父の死後、箪笥の引き出しにたくさんの手紙を見つけた。父が病床の母に向けて書いた手紙だった。父は書道を習っていたらしく、草書で書かれたその手紙は私にはほとんど読み取れなかった。でも、所々の読める文字を追っていくと、徐々に悪化していく母の病状と、明るく振る舞う父の不安が感じ取れて、それから2度と引き出しを開けることはなかった。

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だから、手紙が嫌いだった。疑問を感じながらうんうんと唸って文字を書かなければならないから。書かれた文字からは、辛い現実を知らされたから。

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今でこそ、手紙はメールやLINEやSMSに取って代わられて、ペンも必要ないし、書き直しもできるし、瞬時に届けることもできる。短い文章で、気軽に。ある意味、浅はかに。私も毎日、数十通のメールと、LINEをやりとりしている。

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ふと、おもう。そこにある言葉は、幼い頃の私が書いた言葉や、父が書いた言葉と同じ重さのものだろうか。おもいが込められたものだろうか。もしかしたら今、私はどんどん伝える力を失っているのではないだろうか。

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そんなことを考えていたら、iPhoneが鳴った。LINEの着信だった。「葉書を送りたいので、住所を教えてほしい」。海外に居る友人からだった。

10日ほど経って届いた絵葉書には、SMSで送れる程度の文字量しか書かれていなかったが、私にとっては、どんな長文のメールより嬉しいものだった。

考えて、限られたスペースにレイアウトしながら、手で文字を書く。投函して、時間をかけて、届ける。丁寧におもいを、伝える。

たまには、手紙を書いてみようと思う。

#エッセイ #人生観 #手紙

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