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坐禅について考えていること

東福寺塔頭の勝林寺さんで初めて座禅体験をしたのが2013年4月。翌年4月から月例の坐禅会の会員になり、半分以上は参加できていると思います。また、その他の禅寺でも何度か坐禅を行いました。

今月(2020年1月)は18日に勝林寺の月例会、24日に曹洞宗の嶽盛俊光師が主催の坐禅会、25日に祇園坊主バーで臨済宗妙心寺派の小坂興道師のとの対話と、坐禅について考える機会が続いたので、今の考えをまとめておこうと思います

坐禅をはじめたきっかけ

松下幸之助やスティーブ・ジョブズなど有名人が「坐禅で心を磨いた」という記事を何度か目にして「坐禅は精神修養になるんだなあ。健康にも良いらしい」と思っていました。
それで、坐禅が体験できるところをなんとなく探していたのですが、そんな時、たまたま勝林寺さんのサイトを見つけました。自宅から通えるところで、初心者向けで、紹介者不要でwebで申し込みができてと、ハードルが低いのがありがたかったです。

初めての坐禅体験の日。姿勢から順に教わるのですが、いきなり結跏趺坐(両足をそれぞれ反対側の足の太ももに乗せる坐り方)ができたんです。足の柔軟体操をしたりして慣れるまで時間のかかる方もいますが、私は最初からできて、気を良くしてしまいました。
「坐禅に通っている」ってかっこいいい響きだよね。くらいの感覚で、最初の一年のうちに三回くらい通いました。

坐禅を続けてみて

勝林寺での坐禅体験を一年続けて、そろそろステップアップをと思い、月例の坐禅会「虎嘯」に入会しました。
最初は足の痛みに耐えながら終わりの合図を待っているような状況でしたが、たまに呼吸だけに集中できて「今日はよい坐禅ができた」と感じる回が増えてきました。とは言え、坐禅会6年目の今でも終わりの合図を待ってる回はありますが。

月例会では2回の坐禅のあと、お茶をいただいて禅話(法話)を拝聴します。
禅話の内容は、公案(禅問答の課題)や歴史上の高僧の逸話紹介です。
禅話は唐突だったり理屈のわからない話が多いですね。
禅の教えは
不立文字(ふりゅうもんじ=文字にできるものではない)
教外別伝(きょうげべつでん=師から弟子へ心に直接の体験として伝える)
とされています。なので、禅話を聞いただけでは理解は難しく、自分で色々考える必要があります。月例会とは言え一般人向けですので、その場で感想を述べる程度で、禅話を自分で時間をかけて考えて、その考えを述べる機会がないのは残念です。

坐禅を続けて何が変わったか?

「坐禅を続けて何が変わったか?」と問われると「何も変わっていない」としか答えられません。

そもそも坐禅は目標設定するものでは無いと思います。「10分しか坐禅が続かなかったのが、繰り返すうちに30分続くようになりました」とか、「毎日坐禅を続けて100日目です」とか目標の達成を励みにしている方もいるかとは思いますが、私はあえて目標は立てないようにしています。
一回の坐禅の前後での変化は微細なものだと思いますし、変化を期待して行うものでもないと思います。

「水滴をバケツにためるように一度二度では違いがわからないけど、何度も繰り返した後にバケツを覗くと水がたまっていた」

今はこんな感覚でいます。いつか、「昔のあなたとずいぶん変わった。良くなった」と周囲の人から言われて、それが坐禅の成果だと嬉しいですけど。
月例会にしても、「何も予定がなかったら、休みの日は昼間で寝てるけど、月例会のある日は普段より早く起きて出席し、会は朝10時頃に終わるので、そのあと出掛けたりして休日が有意義に過ごせる」くらいの気持ちでいます。

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