見出し画像

パットナム/ギャレット 『上昇』 刊行にあたって

※本ページは随時更新されます。最終更新日:2023年8月10日

ロバート・D・パットナム/シェイリン・ロムニー・ギャレットの『上昇(アップスウィング) ― アメリカは再び〈団結〉できるのか』が、もうすぐ(7月末に)拙訳で創元社より刊行されます。出版社サイトでは、第1章全体の立ち読みも提供されているようです。

これまで、邦訳を担当してきたロバート・パットナムの著作『孤独なボウリング』『アメリカの恩寵』『われらの子ども』のそれぞれに対して内容を解説、補足するページ等を作成してきましたが、今回はnoteにてそれを作成します。なるべくやわらかめに記していきたいと思います。


著者について

ロバート・パットナムについては、もはや解説は不要であると思いますので詳しくは省略しますが、2018年5月でハーバード・ケネディスクールの教職からは退かれて、いまでは名誉教授(マルキン記念公共政策研究教授)となられています。実は、彼をフィーチャーしたドキュメンタリー"Join or Die"が今年プレミア公開(SXSW 2023)されたりもしています。 *1

ご関心の方のために、同作トレイラーをつけておきます。

共著者のシェイリン・ロムニー・ギャレットについても詳しくは本書略歴やあとがきに記しておきましたが、パットナムの指導も受けてハーバード大学を行政学を専攻して卒業したあと、社会的起業家として活動してきました。日本語読者にとっては、『アメリカの恩寵』での各教会ルポの挿話部分を担当したことにより知られているかもしれません。この本の(日本語読者にとっての)価値のかなりの部分は、彼女の担当した各宗教実践の鮮やかな描写にあったのではないかと訳者としては考えているところです。

さてここからは、本書が特に日本語読者にとって興味深いであろうと思われる部分について、日本語訳を刊行前に何周も読むこととなったわたしの視点(記憶)からご紹介したいと思います。*2

読みどころその1 - 個人主義とコミュニティの振り子

『孤独なボウリング』が20世紀の社会関係資本の消長---前半三分の二の増加と、後半三分の一の下落---を扱っていたことはよく知られていますが、今作ではこのリズムがそれだけでなく、経済政治、そして文化といった社会の各領域にわたって、個人主義-コミュニティ-個人主義を志向して振り子のように動く、大きな逆U字カーブで同期していることを主張します。パットナムは各著作の中で大きなストーリーを描きますが、今回中心に据えられるのはこのリズムでしょう。あえて言い換えるなら、「これは社会関係資本だけの問題ではなかった」ということになるでしょうか。その意味で、『孤独なボウリング』の先にパットナムが見据えたものということになるでしょうし、子どもをめぐる機会格差の拡大(経済領域をはじめとしますが、それにとどまりません。これも個人主義方向への進行が背景にあります)を扱った『われらの子ども』や、60年代以降の宗教離れと個人主義的転回を扱っている(これも文化だけでなく、社会や政治の問題も含みますが)『アメリカの恩寵』などの議論をふまえたものとして、パットナムらのこれまでの考察を大きくまとめ振り返っている側面があると考えられるでしょう。そしてタイトル『上昇』(Upswing)には、現在と全く同じような格差、分極化、孤立、個人主義の極地にあった20世紀の転換点から戦後まで続いた上昇のプロセスをいかに再現させるか、という意味が込められています。

 またこの振り子の観点から、現代の大きな問題である人種ジェンダーがどのように捉えられるのか、「コミュニティ」は結局白人男性のそれに過ぎないという話ではないのかという批判的視座も意識しながら、それぞれ1章を割いてデータにより考察を進めていく部分も、興味を持って読んでいただけるかと思います。

読みどころその2 - 「文化」に対する計量的アプローチ

その扱う領域の広範さから、本書では検討されるデータも個人をベースにしたものをはるかに超え、例えば経済(第2章)においては税の累進性や社会保障費の推移、政治(第3章)では政党間協力の推移など、100年以上におよぶさまざまなデータが示されます。

ただし、このようなしっかりと記録が残るデータや、『孤独なボウリング』でさまざまに掘り起こされた社会関係に関するデータと異なり、文化について明確なデータを掘り起こすことは非常に困難です。ここで彼らが強く依拠するのは、アメリカにおける刊行書籍に使われた言葉を19世紀にさかのぼって検索することのできるGoogle Ngram Viewerです。

「同調」や「市民」、「われわれ」(の「私」に対する比)、「責任」(の「権利」に対する比)など、さまざまな観点から、アメリカの語彙がどう変化してきたかを通じて、文化領域における個人主義-コミュニティの軸に著者らは迫っていきます。これは、『カルチャロミクス』などで扱われたアプローチと思いますが、本書ではそのような手法を用いて、大きなテーゼのためのエビデンスとして組み込んだということでしょうか。

他にも、新生児命名の(伝統的命名への)集中についてジニ係数で120年以上追跡することで、非伝統的命名の志向の変化をみるなど、さまざまに興味深い知見が示されます。各種統計や社会調査データアーカイブでは迫れない部分に対するアプローチとして興味深く読むことができると思います。

読みどころその3 - さまざまな文化的アイコン、社会科学研究の位置づけ

「文化」をデータで示すだけでなく、よく知られたさまざまな人名、作品や議論とその受容をこの振り子の歴史の中で位置づけて示していくのも、本書が本当に興味深く読める点であると思います。いまめくりながら目についたものを列挙するだけでも、例えばヘミングウェイやフィッツジェラルド、『怒りの葡萄』に『スミス都へ行く』『素晴らしき哉、人生!』、あるいはノーマン・ロックウェル、『ライ麦畑でつかまえて』『蝿の王』『理由なき反抗』などがありますし、1960年代の激変を議論する際にはかなりの行数を割いてボブ・ディランの転回や、ビートルズが「アイ・ミー・マイン」にいたった流れまで語られます。

さまざまな知的議論をその時代に位置づけて考察する部分も興味深いものです。例えば社会心理学者ソロモン・アッシュの同調をめぐる線分実験の知見の変化、あるいはリースマン『孤独な群衆』の「他人指向」、またイングルハート「脱物質主義」などを時代的に位置づけて論じていくさまは視点がつながっていくような感覚を覚える向きがあるでしょう。ほかにもエリクソンにはじまる「アイデンティティ」論の登場、またオールドライト/レフトからニューライト/レフトへの変化の内実とそこに関わる数多くの論者たちといった部分は読み応えがあったと思います。文化についてはミシェル・ゲルファンド(ルーズvs.タイト)を引いたり、文化の社会変化への作用についてウェーバーの論を持ってきたりと、さまざまな議論を統合的に考えさせられる刺激があります。

経済、政治、社会、文化のリズムが同期していたとして、何がそれをもたらしたのか、1960年代の、あるいは1900年代の変曲点ではいったい何が起こったのか、議論はそこに向かいます(もちろん一筋縄ではいきません)。「われわれ」感覚を取り戻すための課題は何か、パットナム/ギャレットの取り組んだ探求をふまえながら、それぞれに考えを深めるきっかけを与えられるような作品であるかと思います。

おわりに

ここまででもご説明しましたが、さまざまに知的刺激に富む本ですので、ご関心があればぜひお手にとっていただければありがたく存じます。毎度のことですが、なかなかにカバー範囲の広い本で、訳者の能力不足に起因する読みにくさもあると思いますのであらかじめお詫びいたします(そのときもぜひ不完全な辞書がわりに原書もご参照いただければ幸いです)。

なおコロナ禍という背景もあったと思いますが、本書刊行に際しては出版を記念してさまざまなオンライン講演・インタビュー等も行われ、その多くがアーカイブされています。YouTube等で「Putnam Garrett Upswing」などと検索していただければたくさんヒットします。ぜひそれもご覧の上で、本書理解を深めていただければと思います。以下にPBSのインタビューを一つつけておきます。


パットナム/ギャレット『上昇』に関連する記事は、以下のマガジンにまとめていますのであわせご参照ください。さらに追加予定です。


脚注


*1 "Join or Die" というのは、ベンジャミン・フランクリンの手による、植民地の団結を訴えた政治漫画の表現を下敷きにしたものでしょう。ここでは、「参加するか、さもなくば…」といった意味合いになっているのかと。

この言葉から連想するもう一つのスローガンは、"Live Free or Die"「自由か、さもなくば…」でしょうか。よくよく考えると、本書のテーマはこのjoinとlive freeの間のバランスそのものとも言えるかもしれません。


*2 なおパットナムは2018年に来日していますが、そのときのインタビューに、『われらの子ども』から本書につながる考えがすでに示されています。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?