見出し画像

対話の場では、自分の評価や判断を「保留する」ことが大切にされています。

これって結構難しくて、意識してもなかなかできるものじゃないので、頭ではわかっていても実践しにくいことの1つかもしれません。

で、結果として、少なくとも周囲からは「保留しているように見える」行動選択をしてしまう、つまり「異なる考えは表明しない」ということがよく起こるように感じます。

これが起こると「それぞれの想いや考えが、素直に率直に場に出てきて、アイデアが繋がって広がっていって、ワクワクする刺激的な感覚」ではない、1つの考えを軸に場が進んでいく「つまらない場」が顔を出してしまう。。。

あれっ、「保留する」ことは大切なことなのに、それがかえって場が広がることを妨げているのかな?

改めて考えてみると、そもそもものごとを認識するためには、枠組みがないと把握できないですし、その枠組みに照らし合わせる段階で、判断や評価はほぼ自動的に生じているように感じます。
とすると「評価・判断しないで保留する」のではなく、「評価・判断した」ことを認めて、それを「保留する」というのが現実的な気がします。

「保留する」ためには、前提として自分自身がどんな評価や判断をしているのかと意識することが必要なのかもしれません。

そもそも「私は今の意見に対して、○○と評価している」と自覚するから、それを一旦脇に置いて、「話し手はどんな思いや意図もって話しているのだろう。どんな経験をしてこられたのだろう」と関心を持って聴いてみよう!という姿勢を選択できるのかもしれません。

かつては、私は「評価・判断してはいけない」と思い込んでいましたので、異なる考えを述べることに抵抗がありました。

苦肉の策として、「Yes,and」を使い一旦相手の考えを受け止めて、その上で異なる自分の意見を伝える、というチャレンジをしていたこともあります。

その後、ピーター・センゲらの「出現する未来」(講談社)の中で、保留することについて再読して、衝撃を受けた記憶があります。

「現実についての無意識の想定を目の前に掲げること」

まず無意識の想定を意識に上げて、自覚すること。

そして、背景や理由と共に受け止め方や捉え方などの違いを相手に伝えた上で、あなたの想いや考えをもっと知りたいので教えて欲しい、という姿勢で関わることを学びました。

「いまの話を聞いて、私は○○と感じて□□と判断したのだけれど、どうやらあなたは違う捉え方をされているみたいだ。とても興味があるんで、どんな考えからそう判断するようになったのか教えてもらえないだろうか?」

と声を掛けれるような関わり方を大切にしていきたい!

ーーーーーーーーーー

「自分に見えていることは全体像の一側面出るという謙虚な前提に立って、自分の考えていることや話していることを、自らの仮説として話す」
(小田理一郎著「学習する組織入門」英治出版、2017、P234)

最後まで読んでくださって、ありがとうございました\(^^)/ もしよろければシェア、感想などを教えていただけたら嬉しいです。 またぜひ読みにきてくださいね!