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阪神タイガース優勝の日に〇〇れた話。
こんにちは、飲食店経営者兼ブロガーのおおいしです。
突然ですがみなさん、野球はお好きですか?
晴子さんのバスケットはお好きですか?のノリで聞いちゃいましたが、僕は野球が大好きです。今度は嘘じゃないっす。安西先生、野球がしたいです。
そして熱狂的な阪神タイガースファンです。関西人でもないのに。
今日はちょっと昔の話。
これは忘れもしない。阪神ファンなら誰もが歓喜した2003年あの9月15日に起こった出来事なんです…。
1.苦悩の暗黒時代
僕は1984年生まれの37歳。というわけで当然あの1985年のリーグ優勝も日本一もバックスクリーン3連発も記憶の中にはありません。そんなことより母の乳に必死だったことでしょう。知らんけど。
僕がモノゴコロついて野球を見始めたころ、阪神タイガースは暗黒時代に突入していました。暗黒時代のタイガースは1987年〜2001年の15年間で実にBクラス14回、その内最下位10回というまさに”ダメ虎”と形容されるに相応しい散々たる成績を残していました。
多感な時期に巨人ファンにバカにされ、中日ファンにバカにされ、ヤクルトファンにバカにされ、ロッテファンは…いなかったか。ともかく阪神ファンとして学校の友だちと話しするのは中々にツラい時期でした。子どもは時に残酷ですから(笑)
阪神タイガースの優勝が見たい!甲子園での胴上げが見たい!もう頭の中は大好きなあの子のこととゲームとギターと飼っていた猫と阪神のことでいっぱいでした。
2.来たる2003年
阪神タイガースの優勝を一度も見ることなく気がつけば19歳、大学2年生になっていました。しかし!この年のタイガースは違う!前年に爆誕した星野監督のもと、戦う集団と化した選手たちは連勝街道を突き進みます。
大学進学で名古屋近辺で一人暮らしを始めていた僕はナゴヤドームに足を運んでは阪神ファンの方たちと「せやかて工藤、今年はイケるんちゃいまっか!」とエセ関西弁を駆使して盛り上がっていました。
大学に入ってから付き合いだした彼女も野球の話はいけるクチで、東京ー名古屋の遠距離恋愛でしたがメールで「今年こそ阪神優勝だね」とか送ってきちゃったりして僕は「胴上げの瞬間は絶対泣いちゃうよ〜」なんて優勝ムード満々な返信をしていました。あと「大好きだよ」とか「会いたいな」とか送ってたとか送ってないとか。まあそんなことはどうでもいいや。
早々に優勝マジックを点灯させて、さあXデーはいつだ。9月前半か遅くても9月半ばかな。もう優勝は間違いない状況で今か今かとその日を待っていました。
3.時は来た、それだけだ
ついにその日はやってきました。9月15日。阪神はデーゲームで劇的なサヨナラ勝ちを収め、ヤクルトが横浜に負ければ優勝という状況、そして横浜が大量リードの展開でした。
これはもう間違いない。
僕は一人暮らしの部屋の隅に置かれた14インチのテレビデオにかじりついていました。
すると、彼女からメールが。
「電話していい?」
ん?なんだろう?もうすぐ阪神優勝だから一緒にお祝いしようってか?
でもいつもとメールの雰囲気が違う。絵文字もない。なんだ?
とりあえず電話をかける僕。
彼女「もしもし」
僕「どうしたの?」
彼女「もうすぐ阪神優勝しそうだね」
僕「そうだね!ついに来たよ、このときが!」
彼女「…」
僕「???」
彼女「そんなときに悪いなーとは思うんだけど…」
僕「何?」
…そう、別れ話でした。
えーーーっ、このタイミングでーーー!!!???
嘘やん。せめて明日にしてよ。いや明日でも嫌だわ笑
しかしまだ若かった僕は、どこがダメだっただの嫌なところは直すからだの考え直せないかだの、まあ女々しい粘りをたらたらとかましてごねました。でも、何回目かの彼女の「ゴメンね…」に「ああ、これ無理なやつだ」と悟ったのでした。
悟ったらなんか悲しくなってきて涙が出てきたんだけど、そのときに彼女が一言。
彼女「あ、阪神優勝したね」
ふっとテレビを見たら、
星野監督胴上げされとるやんけーーー。
ツラいときも悲しいときもこの日を夢見て十何年待ち続けた瞬間は嬉し涙ではなく悲しみの涙を流していたのでした。ちゃんちゃん。
4.起こった出来事は変えられないけど解釈は変えられる
かの世界No.1コーチ、アンソニー・ロビンズはこう言いました。
・人生を変えるのは出来事ではなく、私たちが持たせた意味なのだ。
と。
後日談ですが、このフラれた話を酒の席で友人にしたら大爆笑されました(笑)「何それ、めっちゃおもろいじゃん。そんな経験した人いないでしょ。」って。
暗くしないための彼なりの優しさだったんでしょう。彼はバファリンより優しさで出来ているオトコでしたから。
彼の言葉で僕は思いました。この経験も誰かを笑わせたり、愉快な気持ちにさせることができるなら経験してよかったな、と。
どれだけマイナスだと思う出来事にもプラスの側面があって、そこにフォーカスすることでその出来事にプラスの意味づけができる。
この経験から僕が学んだことです。
今、新型コロナウィルスで厳しい状況に立たされている飲食店は多いことでしょう。多分に漏れず、僕も中々に厳しいです。
もちろん飲食店に限らず、いろんな業種でツラい思いをしている方がいると思います。
だけど僕は、この状況になって始めて心から真剣に自分の人生と向き合えました。テイクアウトやお弁当販売で新たなノウハウを身につけたり、人の繋がりの大切さを感じたり、地域に貢献することで商売の本質を見つめ直したり、多くの人がツラい状況の中で何かプラスになることを見つけたはずです。
ここを乗り切れば、この経験を通して成長したことがこれからの人生にプラスの力をきっと与えてくれます。
どんな経験もプラスに捉えることができる。この言葉を頭の片隅にでも置いといてもらえれば、僕がフラれた甲斐もあったってことでしょう。
そして今年こそ阪神優勝するぞ!(笑)そこんとこよろしく。
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