ラッキーと運の意味は分けた方がいい
おはようございます。
海外留学と外国人の彼女がいることで英語が堪能なんだと思われてるけど、
中学生以下の自信がある坂口です。
今日は、『ラッキーには期待するな』というテーマでお話ししていこうと思います。
『運=ラッキーではない。』
僕はブログを書くようになってたくさんの人と話をすることを意識していて、その中で思ったことを書くようなスタイルなんです。
そこで感じた『このような状況でこの人がこんな風に思うのはなんでだろう?』と思ったことを自分なりに仮説を立てて点と点をつなぐイメージで、よく書いています。
そこで思ったことを今日も書かせていただくのですが、僕が思うのが『運=ラッキーと勘違いしている人多くね?』というのがかなり気になります。
僕らは、ラッキーなことが起きたら、
『今日運いいわ!』となりますが、運とラッキーは別物だと坂口は考えていて、ラッキーとラックだと思っています。
これはどう違うかというと、
『たまたまか巡り合わせか?』みたいな感じで思っています。
#抽象的ですいません 。
例えば、
目覚ましかけ忘れたのに起きれた→ラッキー
自分が好きだった子が自分が別れたタイミングでフリーになった→ラック
解釈はそれぞれですが、ラックの方が『運命』に近くて、どちらかというと『チャンス』に近い感覚なのかなーとも思っています。
なぜ今日はこんな話をしたのかというと、『運って面白いよね?』というお話しで賛否両論ありそうなテーマです。
有名な話ですが、『君は自分が運がいいと思うかい?』と面接で松下幸之助が聞いていたという話は有名ですが、運について僕はもっとみんな意識をしたほうがいいと思っています。
この世の中には再現性のあるものとないものに必ず分けられます。
よく言われるのが成功には再現性がないが、失敗には再現性がある。と言われています。
これをもう少し簡単にいうと、成功には時の運みたいなものが必要になってくるのでタイミングをみて、運を味方につける。というのも大事になるということです。
ですが、
失敗には明らかな再現性がありこれをやったら失敗する。というのは、明確になっています。
僕は歴史が好きなので歴史で喩えさせてください。笑
のちの天下取り豊臣秀吉は織田信長が殺されたときに、
岡山から急いで京都に帰ったんです。
その途中に尼崎で豊臣秀吉は敵に追い込まれて、尼崎の寺に逃げ込むんです。
そして、坊さんに化けてバレずに逃げ切ったんですが、これって再現性はないと思うんです。
バレるかバレないかは時の運で、現代の言葉でいうと
『持っている』or『持っていない』だと思います。
『やることやってみる』
僕は運がいいと自分では思っていて、その理由は再現性のない成功体験がたくさんあります。
例えば、
海外に行ってホームレスになってしまったのですが、その時にどう計算しても1ヶ月間はホームレスでした。
ですが、ゲーム感覚で『どうせならやれることやってやろう!』といろんなコミニティーに顔を出した結果、『危ないから無料で住んでいいよ』と言ってくれる人に出会ったんです。
1日に2回はゴキブリ先輩と出くわすような自然的な家でしたが、
それでも久しぶりに家で寝れた時の感動は忘れません。笑
では、僕がこのような運がいいエピソードがあるから、友達にお金がなくてもこうやってやったら助けてくれる人いるよ!と言えるかというと
その答えはノーです。
それは再現性のなさが理由です。
普段何もしなくてもチャンスは来るかもしれません。それはラッキーなことだと思います。
ですが、そのチャンスを掴もうと思うと『運』が必要で用意しているタイミングチャンスが巡ってくる必要があります。
みなさんも明日の運を掴むために今日を頑張って行きましょう!
そんなこんなで坂口靖彦でした。
ばいちゃ〜
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