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「日本語」を教えるということ

社会福祉士実習指導のため、とある高齢者介護施設へ訪問。すると玄関先に「ようこそ!」という意味のネパール語の表記が。ここにはネパール出身の介護職が働いており、これからも増やしていくようで、今日は新たに2名のネパール出身の技能実習生が来日するのだそう。

介護職の人材不足はますます進んでいる。そのような中にあって、外国人介護職の存在は大変貴重で、期待も大きい。外国人介護職の活躍を「教育」というかたちで応援する立場の私にとって、この傾向は素直に嬉しいことである。

そんなことを考えているとき、ふと実習生の1人から「先生、ネパールの人と関わったことありますか?」と聞かれる。「もちろんあるよ。日本で働いて介護福祉士を目指すネパール出身の人は最近増えているみたいだねぇ」。
すると「先生、ネパールの挨拶って"ナマステ"ですよね?」と。

(・・・。どうだったか?確か昔ネパール出身の学生から教えてもらったような気がする。確か・・そう。)

一瞬たじろぎながら、「う、うん、そうだよ(汗)」

このとき、普段から接するネパール出身の方について基本的なことを何も知らなかった自分に気づく。挨拶という基本的なコミュニケーション手段すらも知らない自分を恥じた。

私自身、彼ら外国人介護職に対し「郷に入りては郷に従え」(つまり、日本に来たからには日本語を、日本の文化を知るべきだという考え)を求めない教育者になりたいと心に決めていたにもかかわらず、いつの間にか「外国人介護職は日本語を話して当然」というマインドを持ってしまっていたのかもしれないことに気づかされた瞬間だった。
この学生はネパール出身の介護職と接点を持つことをあらかじめ知り、自分なりに挨拶や簡単なネパール語を調べていたそう。

この純粋な気持ちを忘れていた。日本語を上手く扱えるようになる目的は、日本人とのコミュニケーションを円滑にするため。決して彼ら彼女らの母国へのリスペクトを否定するものではなく、ましてや日本人化を望むものでも決してない。

ただ、日本語を教える立場になるとどうしてもそのことを忘れがちになる。日本を「わからせよう」としてしまうのである。これはともすると彼ら彼女らのアイデンティティを傷つけるものにもなり得る。エスカレートすると、言葉だけではなく、文化や価値観までも日本流に染めていきかねない。

あくまでも「日本語」を教える教員でありたい。「日本」を押し付けるのではなく。



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