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課題に遅れて知った、何より大切なこと

「謝る必要はありません。一緒に理由を考えましょう」

その言葉を、覚えている。

誰かの言葉は時として景色を変える。
名言、箴言、何気ない雑談にハッとしたことが、あなたにもあるだろう。

私にとっては、彼の一言がそうだった。
今でも大切にしている、人生の指針となった言葉だ。

今日は、そんな話をしようと思う。

大学生だった時のことだ。
自由な学風と広大なキャンパスで知られる学校だった。
超有名校というわけではない。私が通っていた頃は、「知る人ぞ知る」くらいだっただろう。
叔父に合格を報告したら「聞いたことないけど、気を落とすなよ!」と言われたほどだ。

それはさておき。
入学して三ヶ月強、当初の浮かれた気分も消え、私はふらふらになっていた。
やるべきことに追われていたからだ。

大学自体は楽しかった。
雰囲気は肌に合うし、友人も親切で話し甲斐がある。
みすず書房の新刊を買って喜んでいたら「ああ、それいいよね!」と議論が始まった時は心底嬉しかったものだ。
小中高と「本なんか読んでるクソ真面目なヤツ」扱いだった私には夢のような環境だった。

問題は、やることの多さにあった。
大学生は暇、と聞いていたがとんでもない。
思えば「忙しい」というものを実感したのはあの時がはじめてだった。

一日の大半は英語での講義。
山ほど出てくる課題。
不慣れな満員電車。
地味に遠い、駅から学校までの距離。

そのすべてが、少しずつメンタルを削ってきた。

中でもきつかったのが課題だ。
「長文を読ませ、それについてのエッセイを書く」というのが定番だった。

エッセイといっても日本のそれとは違う。
結論があり、前段がある。
なにより論理性が要求される。ボリュームのある小論文やレポートに近い。

英語の分厚い本を読んで、エッセイを書き上げ(もちろん英語だ)、提出する。
これがハイペースで繰り返される。

読み書きするのは嫌いではなかった。むしろ得意だった。
その意味で苦労したわけではない。

ただ、スケジュール通りに物事を進めるのが苦手だったのだ。
毎日コツコツと進める、というのがどうしても出来なかった。

高校時代はそれでよかった。
宿題が遅れても、期末試験が赤点スレスレでも、模擬試験や実力テストで結果を出せばどうにかなった。

大学ではそうはいかない。
課題がしっかり出来ているのは当然、期日に間に合うのもまた当然。
落ちこぼれないためには必死についていく必要があった。

ある時。
ついに課題を仕上げることができなかった。
それも、進級に関わる重要な課題を、だ。

時間もあったし、読める文章だったのにまったく進めることが出来なかった。
課題を机の上に広げたまま、ただぼんやりとベッドに寝転がっていたのを覚えている。
今にして思えば軽度の鬱だったのだろう。

提出期限が過ぎて後、教員室に向かう足取りは重かった。

「どうせ怒られるんだろうな」
「進級出来なかったらどうしよう」
「なんでやらなかったんだ、の説教だろうな」

そんな思いが頭をめぐる。

小中高と、課題に遅れるとお説教だった。
なんで出さないんだ、と問い詰められ、理由を述べると「言い訳をするな」の繰り返しだった。

溜息をついて扉を叩く。
“Welcome”と流ちょうな英語。担当のクリスだ。いい声だな、と思ったことをなぜか鮮明に覚えている。

うつむき気味に謝り、たどたどしい英語で事情を説明しようとした矢先

“Stop”

クリスが私の言葉を遮った。あくまで柔和に。
そして

「謝る必要はありません。物事には必ず理由があります。なぜあなたが課題を出せなかったのか、一緒に考えましょう」

こちらをじっと見てそう言ったのだ。

一瞬、何を言われたか理解できなかった。
呆然とすらしていただろう。

言われてみれば当たり前のことだ。
結果があれば、原因がある。無から有が生じないように、結果があって原因がないということはありえない。

「課題を出せなかった」からには「出せなかった理由」が必ずあるのだ。

課題が難しすぎたのかもしれない。
講義の仕組み自体をわかっていないのかもしれない。
私のように、スケジュール通りに進めるのが苦手なのかもしれない。

難しすぎたのなら難易度を調整すればいい。
仕組みをわかっていないなら、学べばいい。
スケジュールを組むのが苦手から、時間管理を習得すべきだろう。

そのように分解していけば必ず「原因」にたどり着く。
あとはその原因を解決すればいいだけだ。

単純な話だ。
当たり前のことだ。
だが、意外なほど気付けないことだ。

少なくとも私は、クリスに言われるまでまで理解していなかった。

課題を出せなかった自分が悪い。
でも出来なかったんだから仕方ない。

そう自分を責めながら、言い訳を続けていたのだ。
思考停止していた、とも言える。

そこから先は早かった。
たどたどしい私の話を、クリスは頷きながら聞いてくれた。
今思いだしても、驚くほど的確なアドバイスを挟みながら。

「結果があれば原因がある」
「原因は解決可能なものと解決不可能なものにわかれる」
「解決可能ならば、解決策を考え実行する」
「解決不可能ならば一旦棚上げにする。あるいは、解決可能な形に変換する」

このような考え方は、すべてあの時に学んだと言っていい。

クリスとの会話は、せいぜい30分だっただろう。
だが、彼から教わったことは、学校でも、仕事でも、プライベートでも、今に至るまで最大の助けになっている。

大学時代は結局苦労続きだった。
順風満帆、とはとてもいかなかった。
それでも、あの一言を聞けただけで進学した甲斐があったと今でも思う。

(了)

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