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すこし振り返る~未来へ向かって(笑)

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小川泰裕 1980年12月うまれ   

・スイストレッキングガイド                 (MOUNTAIN TOP TOURIST SERVICE WENGEN 所属)
・ネイチャーガイド                          ・トラベルプランナー                         (歩く楽しみ・食べる楽しみ・語らう楽しみを大切にします。)          ・食べ物研究中                             (世界から国内のご当地の味・野菜に興味あります。)


株式会社読売旅行入社。新卒入社して一年半で退職。         

【世界まるかじり東京ツアー】などツアー企画に携わる。2005年に新卒での勤務したのが株式会社 読売旅行。たった1年半での勤務しかしてない。なので正直、会社には何も貢献できずに退職ということになった。しかし退職しても旅行観光業にいるため、いつも気になる企業。1年半での勤務だったが「社会人」の基本を教えていただいた貴重な時間だった。

今でも3コール以内に電話を取る「ありがとうございます。●●旅行●●営業所 小川が受け承ります」のフレーズはよく思い出される。

通常なら一昨年前のツアーを多少手直しする程度からスタートかもしれないが、旅行業界の経験もない状態で思うままに企画させていただいた。自身で企画したのが「世界まるかじり・東京ツアー」だった。都内の異国情緒ある場所を巡り各場所でツアー参加のゲストに外国の食べ物を召しがっていただくよいう内容だった。何もわからないならではの企画で当時、旅行会社と取引などしたことがなかったのではないかと思う【BAGLE&BAGLE】【スーパーマーケット 韓国広場】【ホットク屋台】に、時間指定して日にちによって80人分を個別に包装してもらうなど飲食店・スーパーマーケットにお願いしに伺ったことが強く記憶にのこる。旅行業のやりがい、地域起こしという従来の旅行業にとどまらない可能性を感じたのだった。

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オーストラリアへワーキングホリデーで渡航。

正直、パソコンにむかっていて、この期間のことを書こうとかと悩む。というのも100%やりきれていない反省というか後悔というか・・・がある。ワーキングホリデーいったことの経験がマイナスかといえばそうでなく、生き方の多様性を知ることになったのはプラスだった。旅行会社を一年半でやめたせいか、それに対する引け目を感じていた。社会の主流から外れることの恐怖心や一年半で辞めてしまったことへの後悔だった。当時、26歳くらいだったが20歳前後のワーホリ、エンジョイ組みをうらやましくみていた。

「ひぐち家」さんという現地でB AND B に宿泊し、そこを経営している樋口さんにお世話になりワーキングホリデースタートすることができた。その後もゴールドコーストうつり【住む場所・仕事を自力で異国の地で探すなどアグレッシブに行動】してきた。オーストラリアでの経験が自ら選択・決定して責任を負うという生き方の指針になっているのかも知れない。

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気がついたらライフワークになってたツアーコンダクター


帰国後、オーストラリアからの帰国後、添乗員派遣会社のPTCへ入社。自分の人生で一番長いキャリアとなっている。そしてツアーコンダクターの経験が今にまさしくつながっている。実は一時しのぎの為で何がともあれ仕事で海外へ行ける・・・実はそんな安易な動機から添乗員になった。

だが実は奥が深い仕事である。                    添乗員は旅行の案内係だけが仕事ではない。

いいことも悲しいことも人間模様を毎日、接する仕事である。ツアーに参加するお客様の参加動機もさまざま思いがあり、お話を様々な場面できくことがあった。単に添乗員は旅行の案内係ではないのだ。ゲストひとりひとりの悩み・喜び・感動・達成感に接することもあり、お客様の旅の目的達成のためのお手伝いすることでもある。

ツアーコンダクターの先輩は「TGVの車内でゲストの陣痛が始まり、列車をとめて搬送。無事に出産」というおめでたい話もあるし、自身がご案内したお客様同士がツアーでの出会いがきっかけで結婚されたこともある。逆に旅先でご家族の不幸の一報が入り、ゲストの緊急帰国のお手伝いをさせていただいたこともある。


【添乗員評価のお客様アンケート】
芸能人と同じくお客様からのアンケートによって添乗員の評価がほぼ決まる。評価が悪ければ仕事の割り振りは減るし、人気添乗員ならば日当もあがるし仕事の割り振りも優先的に多くなる。自身はまったく当初はアンケートが結果がまったくよくなかった。月収でない日当だから仕事を多く得るためにもアンケートの高評価を必死で取ろうとするようになった。

そのアンケートもまったく話しが違うが議員の選挙にも似たようなところがある。ツアーは15名様くらいから39名様くらいで何にも知らないお客様同士が8日間、12日間と行動をともにするのがツアーだ。そのお客様から大変不満足・やや不満足・普通・やや満足・大変満足の5段階で評価されるのだ。添乗業界では普通は良しとされず大変満足の回答を得られるように求められる。
自身の経験ではやはり公平に接していてもツアーで8日、12日間と接しているとお互いに人間であるから合性の良し悪しがでてくる。そうすると合性の良しグループのゲストが不思議と添乗員を応援してくれるグループとなるのだ。添乗員の評価で重要なのは応援いただけるゲストをどれだけ増やしていくのかということである。この応援していただけるゲストが多ければ他のゲストにも応援が波及してアンケートは予想以上に「大変満足」が増えると感じる。

【王道コースでない自分らしいツアーコンダクター経歴】

●添乗員=ツアーコンダクター
海外添乗員の王道のながれとして国内→アジア→北米・南米・北アフリカ→ヨーロッパという流れがある。実は自分、この王道でなく国内→アジアのなかでもネパール・インド(北インドの一般的なツアーでなく南インド)→ペルー・ブラジル・アルゼンチンなどの中南米そしてモロッコ・北アメリカ、→北欧 というステップアップであった。派遣会社の社長が自身の好みや適性をみてか砂漠・山岳地帯・高地など自然環境の厳しい場所やトレッキングなどアクティビティー要素の多いツアーへ結果的に特化することなった。当時は王道コースでないことに焦りも感じたが派遣会社社長の適材適所の見極めのためかH交通社のお客様アンケートをもとに選ばれる人気添乗員にもなることができた。


添乗員の多くが直接雇用でない派遣添乗員が主流のためか20代に旅行会社から転職した身としては「文句や愚痴」が多い派遣添乗員業界だと感じることが多かった。愚痴や文句の多い業界でツアー企画旅行会社に指示されることだけをすればよいという消極的な添乗にやりがいを見出せないときがあった。そんな時、所属していた株式会社PTC 社長と台湾へ研修にいくことになり「添乗員とは・・添乗員論」を聞かせていただくことになった。その中でハッとするキズキがあった。「自ら考えて楽しみを作る」「そのために知識を深くしなくてはならない」ということだ。

自身が旅行会社から指示されることだけの業務に面白さを見つけられなくなくなっていたころに『自ら旅の演出していい。いや、積極的にしていい。』という追い風の言葉をいただいた。その後は添乗員として行程を管理するという最も重要な業務はもちろんだが「案内の方法」「自由時間の使い方」「旅先の資料づくり」など+αの演出を考えるようになり仕事に没頭することになった。

今思えば、若いうえの勢いだけの+αの演出もあったが、ツアーでは使う機会のない路面電車などの公共交通機関を使って街中散策したり、ツアーで飲む機会がない地元のワインを飲んで語らう会を催したりした。自分でゲストの様子や要望を察しながら自分ならではの時間の使い方を提案できること、そしてお客様の交流が深まり、最終日には他人同士から【旅仲間】になっていく様子に強いやりがいをかんじていた。

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【自分の目指すべきツアーの雰囲気はこれだ】

それと同時に自らも様々なところで添乗・旅の演出としてつかえることを学ぼうとした。例えば、浅草での人力車車夫の方のトーク・ゲストへの雰囲気を観察したり、よしもと喜劇・落語を見たり聴いたり、国内の宿泊ツアーに参加したりということである。

 さらに別の会社のアルバイトでサブ添乗員として国内のトレッキングツアーに同行させていただいていた。いつも同行させていただいたのがHさんという企画・広告・添乗・営業となんでもこなす方で、自身でツアー参加のお客様を集めてしまう。そして日帰りから国内の宿泊 さらに海外(スイス・タスマニア・サハリン・カナダ・・・)までツアーを催行していくのだ。

Hさんのツアー、朝・集合場所でゲストとお会いしたときから「元気だった??」と声かけていただいて昔からの友達と再会でもしてるかのような雰囲気だった。そして何よりHさんの添乗姿勢は「うそをつかない」「正直」ということがすごく印象にある。ツアーの不便な点、ツアーで使うお弁当屋を選ん理由など「正直」にお話するからこそ信頼されてHさんに会いにくるお客様がいる。お客様とサービスを提供する業者のビジネスライクの関係だけでなくアットホームな人間としての暖かい雰囲気のツアーだ。自らのメイン添乗するツアーでもこの雰囲気をつくりたいと思った。

振り返ると人との出会いで変化がある。

あるとき旅行会社主催のツアー説明会で添乗員の先輩から小川君「スイスいく??」というお話があり海外で働く手段がないと思っていたときに声をかけていただいたのだ。


そこからスイス トレッキングガイドがスタートする。
さらにスイス トレッキングガイドの経験からアウトドアに特化したく北海道・キロロリゾート・ネイチャーセンターのシーズンスタッフとして勤務へとなった。

スイスでも北海道でも様々なところで現在進行形で【いい出会い】があって今日がある。出会った方々から沢山のことを教えていただいてる。本当にありがたく感謝の思いである。

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