私のペルソナの形成(少年期編④)
既に書いた通り、杉並区の東京第三学区。裕福な家庭で英才教育を受けた子供が多く、そのため全国屈指の高校受験激戦区。その杉並区の中学で一番になるなど、できるできない以前に創造の外の話であった。したがって塾長に「中学で一番に」と言われても、何か他人事のように受け止め、何と返答したかも覚えていない。
月日は経ち、中学一年の三学期、学年ごとの学力テストというものがあった。このころ私の成績は、通知表に並ぶ“5”で五目並べができるくらいになっていた。つまり学業成績は順調に伸びていっていた。しかし各科目で5を取るのはさほど難しいことではない。クラスで上位1~2割に入っていれば取れるのではなかったか。したがって、通知表にどれだけ5が並ぼうとも、それが自信となって学年1位になるなどとは考えてもみないものである。
ところがふたを開けてみると、学力テストで私は学年全体約300人中、2番であった。全5教科の総合成績表を教壇前で担任から受け取ったとき「すごいねぇ」とほめられた。素行が悪くいつも叱られてばかりいた私は、初めて担任からほめられた。無心で取り組んだ学力テストだったので、突然“2番”という結果を伝えられても、これまた他人事のような気持であった。が、周囲はどうもそうではなかったらしい…。
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