『経済学って何だろう』ー経済学入門書のご紹介【3】

早稲田大学政治経済学術院教授の戸堂です。いま、経済学の超入門書を書いていて、2023年11月ころ新世社から出版予定です。

そのご紹介の第3弾となる今回の記事では、出版社の許可を得て第1章の一部を転載します。この章では、マクロ経済学の1分野である経済成長論について、日本の経済停滞を例として解説しています。

なお、ここに掲載したものは初稿段階のものであり、最終的には変更の可能性があります。


1     なぜ日本経済は長期間停滞しているのか?-マクロ経済学(経済成長論)-

 第1章では、まず前半で日本経済が長期間にわたって停滞している現状を紹介し、その原因と処方箋を概観します。後半では、その原因をさらに詳しく分析するために、経済規模や所得レベルの測り方や、生産量を決定する生産関数の重要な性質など、経済学のツールについて解説していきます。

1.1       日本経済停滞の現状

GDP総額の停滞

 日本経済は、1991年のバブル経済崩壊以来、30年以上にわたって停滞しており、その停滞ぶりは「失われた30年」と表現されています。まずは、データによってそのことを確認してみましょう。

 1国の経済規模は、通常その国の企業や個人が生産したモノやサービスの総額であるGDP国内総生産)で表されます。GDPの定義については、次章の第2.1節で詳しく解説します。図 1‑1は日本、アメリカ、中国、ドイツのGDPの推移を示したものです。これを見ると、1990年には日本はアメリカに次ぐ世界第2位の経済規模だったものが、その後伸び悩み、2009年には中国に追い抜かれて世界第3位となり、もうすぐドイツに追い抜かれて第4位に転落すると予想されています。

図1-1 日米独のGDPの推移
(出所:世界銀行,World Development Indicators)

所得レベルの停滞

 アメリカや中国は日本よりも人口が多いので、GDP、つまり1国全体の生産総額でくらべるのはフェアではないと思うかもしれません。たしかに、国民1人1人の生活レベルや所得レベルを比較するには1国全体の生産総額ではなく、それを人口で割った1人あたりGDPで表されるのが普通です。GDPは生産総額ですが、生産された価値は結局は労働者や株主など誰かの所得になりますから、1人あたりGDPを1人あたり平均所得と考えてもそれほど間違いではありません。

 1人あたりGDPの推移を示したものが図 1‑2です。この図では、年ごとの価格や為替レートの変動を考慮した上で、国ごと年ごとの比較をしやすいように修正を加えた1人あたりGDPの推移を示しています。その詳しい測り方については次章で詳しく述べます。

図1-2 1人あたり実質GDPの推移
(出所:世界銀行,World Development Indicators)

 図 1‑2を見ても、日本経済の停滞ぶりは明らかで、この30年間で1人あたりの所得水準はそれほど変化していないことがわかります。1990年時点ですでにアメリカやドイツにくらべても低い水準だったものが、その差がどんどん大きくなってしまっています。2018年には韓国にも追い抜かされており、その差が広がっています。

 また、図 1‑3は、総務省の家計調査による1世帯当たりの実質所得を利用して、全世帯を所得の高い順に並べた時に、上から20%にあたる世帯の所得、ちょうど真ん中の世帯所得中央値)、下から20%の世帯の所得の推移を表しています。これを見ると、富裕層、中間層、貧困層のいずれにおいても、世帯収入は1990年代前半をピークに下がっていっています。以前にくらべて大家族が少なくなり、1世帯あたりの人数も平均的には減っていますから、世帯所得が減少しているからといって、必ずしも1人あたり所得が減少しているわけではありません。しかし、全ての所得階層で同じように世帯所得が減っていることは注目に値します。

図 1-3 日本の実質世帯所得の中央値と上位・下位20%値
(出所:総務省, eStat) 

 いずれにせよ、図 1‑1~図 1‑3を見れば、1991年のバブル経済崩壊以降、30年以上にわたって日本の経済規模や所得レベルが停滞していることははっきりしています。

1.2       日本経済停滞の原因

 なぜ日本は諸外国に比べて経済規模や所得水準が伸びず、停滞してしまっているのでしょうか。その原因を考えるために、そもそもGDPの額、つまり生産総額がどうやって決まっているのかを考えてみましょう。

 簡単に言えば、財を生産するためには、労働力と機械やコンピュータなどの生産設備(これを資本財とよびます)、それに技術が必要です。ですから、1国の生産総額、つまりGDPは、その国の労働者の数、資本財の量(機械やコンピュータなどの総量)、そして技術レベルで決まっています。このことについては、本章の後半の第1.4.1節で詳しく述べます。なお、それ以外にも教育による労働者の質も生産に関わってきますが、その点については第8章の第8.2節でふれることとします。

経済規模の停滞の原因

 そうなると、図 1‑1のように日本のGDPが停滞しているのは、労働力、資本財、技術の3つのどれか、もしくはすべてが停滞しているためだと考えられます。

 1つの大きな原因と考えられるのは、少子高齢化です。1990年の日本では、20-64歳の人口(生産活動に従事する労働者の中核をなすという意味で「生産年齢人口」とよびます)は6170万人、総人口に占める65歳以上の高齢者の割合は12%でした。しかし、2021年には生産年齢人口は5390万人と800万人近く減少し、高齢者比率は30%に急上昇しています(図 1‑4)。生産年齢人口が減少して高齢者が増えれば、労働者の数は減ってしまい、それにともなって自然とGDPも減少していきます。

図 1-4 日本の生産年齢人口と総人口に占める高齢者の割合
(出所:World Population Prospects)

 もう1つの原因は投資不足です。生産に必要な資本財は、新しく機械やコンピュータなどの生産設備を購入することによって増えていきます。経済学では、このような生産設備の購入を投資とよびます。一般的には、投資とは、株式や不動産などを購入することで利益を得ようとする行為をさすことが多いのですが、ここでの投資とはやや意味が異なります。

 図 1‑5は、先進国の集まりであるOECD(経済協力開発機構)の加盟国について投資率(投資額の対GDP比)と1人あたりGDPの関係を示したものです。この図では、1つの点が1つの国を表しています。このような多くの国や人について、2つの変数の関係を点で表したものを散布図とよび、2変数の関係を概観するのによく使われます。この図からは、投資率が高いほど1人あたりGDPが大きいという傾向があることがわかります。

図 1-5 OECD諸国の投資率と1人あたりGDPの関係
(出所:Penn World Tables 10.01.)

 ただし、日本の投資率はOECD諸国では中ほどで、日本よりも投資率が低いのに所得レベルが高い国も、逆に日本よりも投資率が高いのに日本よりも所得レベルが低い国も多くあります。ですから、より問題になるのは投資の中身でしょう。生産活動がデジタル化している最近は、コンピュータなどのICT(情報通信)機器や、情報処理システムやソフトウェアなどのICTサービスに対する投資(ICT投資)が生産を増加させるために重要になってきています。

 ところが、図 1‑6に示されるように、日本では1990年代にはICT投資の対GDP比率が他国よりもむしろ多かったものの、その後減少してアメリカやフランス、オランダのような他の先進国にくらべると、かなり少なくなってしまっています。特に、中小企業や古くからある企業でICT投資が進んでいないことが報告されています[1]

図 1-6 主要国のICT投資額(対GDP比)
(出所:EUKLEMS & INTRANProd 2023; RIETI JIPデータベース)

 図 1‑7は、欧米と日本21か国について、ICT投資率と1人あたりGDPの関係を見たものです。この図からは、確かにICT投資が多いほど1人あたりGDPが大きいという傾向が見てとれます。ですから、ICT投資が不十分でないことが、日本のGDPの低迷の1つの要因だと考えられます。

図 1-7 日米欧諸国のICT投資率と1人あたりGDP
(出所:EUKLEMS & INTRANProd 2023; RIETI JIPデータベース,Penn World Tables 10.01 注:EUKLEMSデータでICT投資率が入手可能な国に限定している。ただし、タックスヘイブン(租税回避地)であるために極端に1人あたりGDPの高いルクセンブルグは除いている。 )

 より重要なのは、日本では技術レベルが低迷していることです。技術レベルを計測するのは簡単ではないのですが、例えば国内の特許出願件数はどれだけ発明が行われたかを示しているので、技術進歩の1つの指標であると考えられます。
 図 1‑8は、日米中について特許出願件数を表しています。日本の特許出願件数は2000年には米中よりも多かったのですが、それから継続して減少して、米中に抜かれてしまっています。各国にくらべて技術レベルが上がっていかなかったことも、GDPの停滞の原因なのです。

図 1-8 居住者による特許出願件数
(出所:世界銀行, World Development Indicators)

 また、各国の総合的な技術レベルを全要素生産性(total factor productivityを略してTFP)という指標で測る方法もあります。詳しい手法についてはこの章の後半の第1.4.1節で説明しますが、簡単に言えば、全要素生産性とは生産量のうち、労働力や資本財などの生産要素の量だけでは説明できない部分を測ったものです。図 1‑9は、OECD諸国の全要素生産性と1人当たりGDPの関係を図に表したものです。この図では、全要素生産性はアメリカが1となるように標準化されています。

図 1-9 OECD諸国の1人あたりGDPと全要素生産性
(出所:Penn World Tables 10.01)

 この散布図を見ると、概ね、国の総合的な技術レベルである全要素生産性が高ければ、その国の1人あたりGDPも高いという関係になっており、技術レベルが所得水準の決定要因となっていることがわかります。1人あたりGDPが大きく、労働者も多ければ、GDP総額も大きくなります。

 図 1‑9は、日本はアメリカ、ドイツ、スイスなど他の先進国にくらべると、全要素生産性が低く、1人あたりGDPも低いことをはっきりと示しています。技術レベルが停滞していることが、GDPの停滞の原因になっているのです。

1人あたり所得の停滞の原因

 これまでは、図 1‑1で示されたGDP総額の停滞の原因について説明しました。では、図 1‑2に見られる1人あたりGDPの停滞の原因についてはどうでしょうか。資本財や技術レベルの役割については同様に考えられますが、労働者の数についてはやや注意が必要です。

 なぜなら、労働者が減ったとしても、労働者1人あたりの平均的な生産額(これを労働生産性とよびます)は変わらない可能性もあるからです。例えば、労働者1人1人がバラバラに働いていて、各々が1日1万円分のモノを生産していたら、労働者が10人いようが100人いようが、1人あたりの生産額は1万円です。もしそうであれば、少子化で労働者数が減っても、労働者1人あたりのGDPは変わりません。

 ただし、労働者1人あたり生産額が変わらなくても、少子高齢化の下では国民1人あたりの生産額は減っていきます。なぜなら、

となりますが、少子高齢化では総人口に占める労働者の割合は減っていくからです。

 さらに、労働者が減ることで生産の効率性が下がり、労働者1人あたりの生産額が減ってしまうことも考えられます。例えば、多くの労働者が互いの長所を活かせるような仕事に特化できたり、互いに助け合ったりしている場合には、労働者がたくさんいるほうが効率がよいということがあります。

 そのような場合には、労働者の数が2倍になれば、生産額は2倍以上になるわけで、労働者1人あたりの生産額は増えます。逆に、労働者の数が減れば、労働者1人あたりの生産額は減るわけです。こういった場合は、規模が大きくなると経済性が高まるという意味で、規模の経済が存在するといいます。規模の経済については、第1.4.1節で詳しく述べます。

 また、労働人口が大きいことで、研究開発など知的な生産活動に従事する人が多くなり、技術進歩が促進されて1人あたりGDP成長率も上昇するという考え方もあります。これは、内生的経済成長論の創始者でノーベル経済学賞受賞者のポール・ローマーが提唱していることで、経済成長における規模効果といいます。人口規模の大きいアメリカや中国が最先端の技術を生み出していることは、その1つの証左であるといえます。

 ですから、労働者の対人口比が下がること、規模の経済や規模効果が存在することを通じて、労働者数の減少は国民1人あたりGDPの減少にはつながる可能性が高いといえます。

1.3       経済停滞にどう対処すべきか

 さて、少子高齢化、ICT投資の停滞、技術進歩の停滞が、日本経済の停滞の原因となっているとすると、それらに対してどのように対処すればよいのでしょうか。

 そもそも、このような場合に政府が政策で介入する必要はあるのかを考えてみましょう。例えばICT投資の停滞が問題であったとしても、それは企業の選択の結果であって、政府が介入する必要はないという考え方もありえます。ただし、政府が政策を実施することで、企業も利益を上げ、労働者にその利益が行き渡ることで社会全体の幸福度を高められるのであれば、そうするべきでしょう。

 この後の第4章の4.4節で詳しく述べるように、経済学では、一定の条件の下では市場経済が作り出す状態(これを均衡といいます)は社会的に最適の状態であり、政府の介入によってよりよい状態を生み出すことはできないと明らかにしています。ただし、現実にはそのような条件が満たされないことも多く、その場合には政府の介入が必要なのです。

 政府の介入が必要な場合の1つが、先ほど述べた規模の経済がある場合です。例えば、ICT投資の1種として、企業が高機能のオンライン会議のシステムや機器を導入することを考えましょう。この時、自社内だけではなく、取引先とのオンライン会議も行うのであれば、取引先も同じシステムや機器を導入している必要があります。ですから、自社だけがこの投資をした時にくらべて、自社も取引先も同じ投資をすれば、経済全体の生産の効率性は大きくアップし、社会的な便益は2倍以上になるでしょう。つまり、規模の経済が働いているのです。

 しかし、企業は自社の投資しか決められませんから、ICT投資をしようとしても取引先がしなかった場合の便益が小さいために、投資をしないかもしれません。そうすると、経済全体としてあまりICT投資が進まず、ICTの利用による生産の効率化も進まないことになります。日本で中小企業のICT投資が特に進んでいないのは、取引先がICT投資をしていない中小企業が多く、自社がICT投資をするインセンティブが低いためだと考えられます。

 このような場合には、政府がICT投資に対して税金を控除(安く)するなどの政策を行えば、ICT投資が進んで経済が成長し、社会全体がよりよい状態になるわけです。実際、日本を含めて多くの先進国は、中小企業を中心にICT投資に対する政策支援を行っています。ただし、OECDの報告書によると、日本の政策支援は他国とくらべて十分ではなく、現実にICT投資が少ないことを考えれば(図 1‑6)、改善の余地は十分にあるのです[2]

 また、技術進歩に対しても政府の政策が必要であることはよく知られています。詳細は本章の後半の第1.4.2節で述べますが、新しい技術や知識を生み出すと、それを完全に秘匿するのは難しく、他人や他社に真似されてしまいます。そのため、知識や技術を生み出した人や企業は、真似される分だけ利益を損なってしまい、技術開発に対するインセンティブがそがれてしまいます。ですから、市場経済では知識や技術が十分に生み出されず、社会的に最適な状態が達成されません。この場合にも、政策によって研究開発活動補助金税制優遇措置を行うことで、技術進歩を促進して経済成長を引き上げて、よりよい社会の状態を達成することができるのです。

 図 1‑10は、OECDのいくつかの国について研究開発に対する直接補助金と税制優遇の対GDP比を示しています。全ての先進国は研究開発に対する政策の必要性を認識していて、一定の政策支援を行っています。その中で、日本はOECD平均と比べても補助金が少なく、ここでも改善の余地があります。

図 1-10 各国の民間による研究開発活動に対する補助金
(出所:OECD Science, Technology and Innovation Outlook 2021.)

 むろん、日本経済の停滞の原因には、ここに挙げたこと以外にもグローバル化への対応やデフレなど様々にあるでしょう。グローバル化については第4章で、デフレについては第7章でふれて、必要な政策について解説していきます。

1.4       マクロ経済学のツール

この後、「 企業や経済全体の生産量はどうやって決まるのか」、「 知識の創造にともなう外部性」について、やや詳しめに解説しています。これらについては、ここでは省略します。


[1] 深尾京司(2015),「生産性・産業構造と日本の成長」,RIETI Policy Discussion Paper, No. 15-P-023.
[2] OECD (2019), ICT Investments in OECD Countries and Partner Economics: Trends, Policies and Evaluation. OECD Digital Economy Papers, No. 280.

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