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サザンオールスターズ43周年おめでとうございます

はじめに 

1978年6月25日。

サザンオールスターズが勝手にシンドバッドでデビューした記念日だ。

あれから43年が経った今でも(当時僕も生まれてないが)、第一線で活躍されているのは本当に前代未聞である。

邦楽というものが変貌していく中で、大御所として引っ張っていられるのはサザン自身の音楽も常に生まれ変わり続けているからなのではないか。

サウンドや歌詞の題材の幅広さやストックの大きさがサザンの長生きを支えている大きな要因であると確信している。

そんな前置きはさておいて、今日はサザンと自分の人生について書いてみようと思う。

①幼少期〜小学生時代

僕の父はほぼデビュー当時からサザンのファンであり、かなり熱狂的な部類に入る。

その証拠にサザンのCDやレコードは全て集めてるし、過去のライブのビデオ(年越しライブ等も含む)はほとんどが家に存在するほどだ。

そんな父は僕が小さい頃からテレビでサザンをよくつけていたり、車でサザンを流していたりした。

その影響もありTSUNAMIや真夏の果実、いとしのエリー、勝手にシンドバッド等はなんとなく認識はしていた。

また8歳の頃サザンが無期限活動休止になったことや10歳の頃桑田さんが癌になり紅白で復活したのもよく覚えている。

そのようにしてサザンは確かに僕の日常にあったのだと思う。

②中学生時代

中学1年生の6月25日にサザンは5年ぶりに復活。

その日父はサザン復活のニュースの街頭インタビューに出演したこともあり、少しサザンに興味を持った。

父がサザン復活ということもあり、当時のウォークマンにTSUNAMIと海のYeah!と最新シングルのピースとハイライトの3つを入れてくれた。

いざ聴いてみるとコーラスが素晴らしいバンドだという印象を受けて、なかなか気に入った。

また幼少期の影響で知ってる曲も多く、記憶を復元していく感覚があり楽しかった。

しかし父に誘われた8月のライブに行くのを断ってしまった。

なぜだ、今でも後悔している。

そんなこんなでとある9月某日。

大きなきっかけの日がやってきた。

それはWOWOWで父が宮城ライブの生放送をテレビで見ていた。

僕もサザンを聴きはじめたこともあり、興味本位で一緒に見てみた。

呆気にとられた。

会場の熱気、バラードの切なさ、ライブ演出の過激さ、そして何よりメンバーのかっこよさに驚愕した。

勝手にシンドバッド、真夏の果実、太陽は罪な奴、涙の海で抱かれたい、愛の言霊が特にあのときは印象に残った。

その日から僕は開眼し、サザンを真剣に聴きはじめた。

先述の3つのCDに加えて、とりあえずシングルを全部入れてくれるように父に頼んだ。

そしてその数ヶ月後にはアルバム、カップリング全てをウォークマンに入れてもらった。

さらに父にサザンに関する批評本を3冊借りた。

それを中学の自主学習の時間に読み込むほど読み込んで研究した。

中学1年生の秋から中学2年生の秋くらいまではサザンの音楽についてかなりのものを吸収した。

かつて湘南、海、夏といったイメージしか持ってなかった僕にとって、新しいサザンを知ることは冒険そのものだった。

カラオケでもサザンばかり歌っていた。

思春期の中学生だったので男友達の前でシュラバ★ラ★バンバ、エロティカ・セブン、マンピーのG★SPOTを歌っていた。

当然のように引かれたのはいい思い出だ。

そんなこんなで中学3年になりさらに大きな転機が訪れた。 

初めてライブに行けることになったのだ。

おいしい葡萄の旅だ。

この出来事についてはかつて以下にまとめたのでそれを参照してほしい。

要約するとそのライブで僕の人生にとって、サザンは必要不可欠のものになったのだった。

このようにして中学生時代は僕とサザンを語る上で重要な時期であったのだった。

③高校生時代〜現在

高校生時代になると桑田ソロ活動に入った。

しかし僕のサザンへの愛は止まることをしらない。

偶然高校でサザンファンの友達が2人いたので、3人でサザンについて語り合った。

一緒に茅ヶ崎に行ったりもした。

さらにサザンの影響でギターを始めることにした。

初めて練習した曲はいとしのエリー。

四六時中練習した。

英語のスピーチで桑田さんへの愛を15分間語り、そのラストで練習して間もないいとしのエリーの英語バージョンを弾き語りした。

あのときの度胸をたたえたい。

その後2年生の高校の文化祭でバンドメンバーを募って、TSUNAMIを披露したりもした。

サザンマニアとしてのプライドがあった。

そして40周年の年は大学受験の年。

父はなんとキックオフライブに当たった。

羨ましい限りだ。

僕は映画館でちゃんとライブに参戦。

河合塾の模試の後にサザンのロッキンの中継を見たり、大晦日に紅白サザンで年越ししたり、何より移動中はサザンを聴きながら単語帳を読んでいた。

ちゃんとサザンへの熱は保ったままであった。

それと何度か失恋したときもサザンに助けられた。

そんな高校時代は幕を閉じ、その年に受験し大学に進学した。

大学でも軽音サークルに入り、初めてのライブでサザンをコピーさせてもらった。

ミス・ブランニュー・デイ、TSUNAMI、勝手にシンドバッドを演奏させてもらった。

本当に楽しかった。

そして見てくれがツアーにも西武ドーム参戦。

予想の斜め上を行くセトリでさらにサザンへの愛が深まった。

特にHAIRをやってくれたのは嬉しかった。

その後、世界は自粛を強いられるようになり、生きづらい世の中となり、学生生活も失われた。

予定していた留学もなくなり、人生を見つめ直すときが来た。

そんなときに前向きにさせてくれたのはサザンだった。

keep smilin'やほぼほぼ年越しライブには相当元気をもらった。

感謝してもしきれない。

現在はサザンのライブや曲に関するデータを集めたり、趣味垢でサザン好きのフォロワーさんとも繋がったりする中で新しい発見も生まれている。

サザンのファンであることの幸せを噛み締めている日常だ。

おわりに

このように文面にしただけでも、サザンが僕のこれまでの約21年の人生にとってどれだけ大きな意味を持つものなのかが見て取れる。

きっとこれからも人生の節目において、サザンは自分に寄り添ってくれるものだろう。

仕事、結婚、家族等においてサザンは大きな意味を持ち続けてくれるだろう。

とにかく願うことはサザンがいつまでも元気でいてくれること。

50周年もその先も邦楽シーンで輝き続けてくれていますように。

改めて本当におめでとうございます。

そしてありがとうございます。

これからもよろしくおねがいします。

サザンオールスターズ。

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