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MORE RESPECT FOR REFEREE.

ここ数日、あるJ2クラブのサポーターが公式戦で笛を吹いた女性主審のジャッジングに対してジェンダーを絡めた投稿をしたことが話題になっている。ジェンダーというとてもデリケートな話題に触れたことによる反響はすさまじくネット上は賛否の声で溢れ、またネット記事が取り上げたことによってさらに拍車がかかっている。

今シーズンに入ってからJリーグのサポーター界隈を中心に審判の質に対して不満を漏らすSNSへの投稿が多くなっている。その要因となっているのが、明らかに主審に見落とされた明白な間違いが2月17日の開幕から今日までの2か月ちょっとの間に何件も起きていることによるもの。そのうち1試合は筆者の応援するサンフレッチェ広島の開幕戦で、明らかにゴールラインを完全に越えてゴールと認められるべきシュートが得点として認められず、試合も1対1に終わった。後日、誤審であったことを日本サッカー協会審判委員会が認め、扇谷委員長が当該両クラブに謝罪した。

誤りを認め、相手に謝罪の意思を示すことは重要だと思うし必要ではあったが、今思えばこの試合の誤審を公に認めたことが、サポーターの間での審判全体に対する不信感を強める要因になったと言えるかもしれない。

話が横道に逸れたが、試合を決するような場面での、それこそ前述のような認められるべき得点が認められないといった明白な間違いについてはVAR(ビデオアシスタントレフェリー)の介入があるJ1リーグはもちろんのこと、J2以下のVAR未導入のカテゴリーでも審判団が誤審を無くしていけるように努力することは当然として、ファウルの判定基準などのグレーな部分(様々な解釈が認められる部分)における判定がSNSでは槍玉に挙がることが多い。

今回は女性主審の「性」の部分に触れた投稿をしてしまったがために騒がれる結果になったが、問題の本質はジェンダーの部分とは別にあると思う。

まず前提として、これを読んでいるあなたが思う「理想の審判に求めること」とは何か。
ファウルをよく取ることだろうか、それとも試合の流れを極力止めないことだろうか、判定基準が明白なことだろうか、もしくは選手との対話を重視すること?
では、それらを満たせない者が皆さんの言う「質の悪い審判」ということになるのだろうか。

我々サポーターが日頃あらゆる場所で勤労し、労働し、あるいは学問に励んで、様々な理不尽や苦痛に耐えて迎える待ち遠しかった週末の試合で求めているのは、好ゲームでも、スリルでもない。日常で貯めに貯めまくったストレスを一気にスカッとさせてくれる応援しているチームの勝利その1つだけだ。
しかし、試合にいつも勝てるとは限らない。勝者が居れば必ず敗者も居る。
快勝を目撃し解消されるはずだったストレスはその敗北でさらに溜まってしまう。このストレス、どう晴らそうか。選手にぶつけようか、監督にぶつけようか、あるいはクラブそのものに。

そうだ、審判にぶつけてやろう。あの場面でのあの判定が間違っていた。あいつさえまともに裁いていたらウチが勝っていたのに。

サポーターの審判へのジャッジングの不満。その始まりは大抵は各々が抱えた試合とは関係ない部分のストレスによるものだ。それをサポーターたちが時には勝手な憶測や解釈も交えて理論武装し、自己の言い分を正当化して審判にバッシングを浴びせているだけに過ぎない。そもそも審判が公正な判定をできているのかをストレス解消を求めて試合を観に来ている人間が客観的に判断できるのかという話である。
もっともらしい理由をつければ審判に対して侮辱にも近い言葉を吐きかけてもいい。なぜならあいつはレベルの低い審判だからだ。そう自己に言い聞かせて行為を正当化する。こうして月日が経ってもことあるごとに「あの試合はどう考えてもPKだったのにあいつ取らなかったよな」などと宣いながらサポーター同士で酒を飲み交わしながら思い出話としてグダグダ語らうのもサポーターの楽しみだなどと。
かつてのいじめっ子が「昔はオレもヤンチャだったからさ」と美談仕立てにして昔のいじめを昔話として語るかのようで虫唾が走る。

それでも審判のミスは許されないと。現役選手からも誤審に対して罰金制度などがあってもいいのではないかという意見まで飛び出したこともあった。選手は全力で、体張って命がけでプレーしているんだから審判も命がけで裁けというのはよく見かける意見だ。

しかし、よく冷静になって考えてもらいたい。

選手と審判には明らかな差がある。それは挽回のチャンスだ。
人間とはミスをする生き物だ。味方へのパスを相手に出してしまう、ゴール前の絶好機でふかしてしまうなど、選手たちも例外ではない。もちろん審判も。だが、選手はミスをしても切り替えて次のチャンスを決めて名誉挽回することができるが、審判はミスを1回してしまうとその後どんなにいい判断をしたところでそのミスは帳消しにならない。
「キミ、後ろからタックルされてたのね。ゴメンゴメン、見てなかったわ。次からはちゃんと見落とさないようにするから。」などということにはならない。
審判は永遠に減点方式でしかない。
故に審判は評価されづらいのである。

だから、もっとサポーターは審判をリスペクトしなくてはいけない。サポーターも、選手も人ならば、それを裁く審判にも人の心があるのだから。
ミスに寛容になれという話ではない。ストレスのはけ口としてSNSや直接のレフェリーへの口撃を正当化するなということだ。審判の質について客観的に論じれるだけの知識も経験も多くのサポーターは持ち合わせていないことを理解すべきである。

最後に、今後の日本サッカーの審判に私個人が求めたいことを書いて記事を締めたいと思う。
もっと堂々と自信を持って試合を裁いてほしい。審判が判定に自信を無くした試合では基準に揺らぎが生じて選手たちにも困惑やフラストレーションが広がっていってしまう。ファウルの基準が明白であれば、選手たちはそこにアジャストできる。今シーズンここまで審判への不信感を生むような出来事が立て続けに起こったことは紛れもない事実だが、そこからまた選手と審判、サポーターがもう一度リスペクトしあう方向に向かうことを心から願う。

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