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面倒なことって実は大切なこと

おはようございます、こんにちは、こんばんは安田でございます?
挨拶が解らなくなってますwかれこれもう5日前?24日の深夜に16年半飼ってたイッヌが亡くなりました。

16年半前、小学生の頃に初代のイッヌがうちにやって来て散歩や飯を僕以外の家族は滅多にやらなかったのに懐くのは僕以外。
高校生になった頃亡くなって、まぁもう生き物は要らないよねなんて思ってました

6年ほど?の月日が流れ父親がアルツハイマーだと言うのが発覚した頃にイッヌ嫌いやったはずの母親が「セラピードック代わりにイッヌを飼いたい」と言い出して寝耳に水、僕は猛反対!!
絶対散歩とか連れて行かないのにイッヌは散歩が好きな生き物なんやから可哀想やろと、なのにある日家に帰ると子犬が居てびっくり・・・

そこから父親が死んで母親は入退院を繰り返す様になり当時別のマンションで一人暮らしをしてた僕は毎朝夕、イッヌのトイレに実家に行って大変は日々を過ごしました。
それから数年経って母親も亡くなり、イッヌだけ実家に残る事になったから引き取って面倒を見始めて(こんなはずじゃなかったのに・・・)感満載w

photographerは早朝、朝日の風景だとか街の様子夜の風景、普通の人が活動しないような時間の撮影が多いんですが。イッヌが吠えると・・・と思うと行動時間が制限されて悶々とした日々を過ごしてました。
ただ14歳くらいまでは毎日の散歩も全力疾走!!って感じやったのが15歳を超えてふと気がつくと走らなくはなったとか「お前そんなに白髪あったの!?」と年齢を感じる事が多くなって。

父親の時も母親の時も入院して面倒見てる時ってめちゃくちゃめんどくさいんやけど、いざ残りいくばくも命がないと思いますって医者から聞かされて。
毎日あれが欲しいこれが欲しいって催促の電話も来なくなってたなって事に気がつくと急にあれこれしてやりたくなるけどもう遅くって、面倒な事ってその瞬間はホンマ面倒なんやけど。

実は大切な事やったんやなって痛感してたから、イッヌの世話で制限されてる状態も面倒やけど解放されたらされたで何か違うと言うかオモリがないとどっかに飛んでいってしまいそうな自分を飛んでかない様にしてくれてるオモリの役割なのかな?って思ってました。
その日の夕方、イッヌの散歩を済ませて祇園祭の神輿を深夜まで追いかける予定をしてたんですが。

21時半家の近所まで神輿が来たタイミングでやっぱり家に帰ろうと思って家に帰ったらイッヌの様子がおかしくて、すでにせん妄状態。
なんと言うか父親は看取れなかったけど、母親と姉は看取れたんですが多分自分が死ぬ時は1人っきりで孤独死する未来が見えてるから。

言い方は良いのか解らないけど僕に看取ってもらえて犬種の平均年齢までは生きれたから良いんじゃないの?ってそう思うしかないよね。
その日は眠れなくて、数年前は時間問わず毎日走ってたのであれから毎日4時半に起きてランニングしてます、5日経ったんでもう慣れ始めてるんですが。

翌日とかは家に居るのが息苦しくて、無意識にイッヌがいつも寝てた所に目が行くし。
家に帰って来たら、2階に少し行って降りてくる時に階段の下で尻尾振って待ってる姿が見れなくなったら涙が出るくらい懐かしくて寂しくて、仕方なしに引き取ってイヤイヤ世話をしてたと思ってたのに居なくなるとこんなに寂しいなんて。

近所の人間に気を遣う必要も無くなったし、好きな時間に好きなだけ撮影に出かけられる。
何故かほぼ毎日祇園に行って撮影してたのに、その意欲が低下しててそれよりもっと何でもない街の光やったり人々を撮りたくなってる何か自分の中で変化が起きてるのを感じてます。

あの日の写真を見るだけでまだ胸が苦しくて、季節物なので今年はもうあげる事はないかな?半年後?来年?edit出来る心境になれたら何かが進んだのかもしれませんね。
最近は暑さやら何やらで撮影したデーターのeditの速度が低下しててあまりありませんが最近の撮った写真をどうぞ!







下を向いてばかり居ても仕方ないので今まで出来なかったことをやっていきます

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