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Lōkahiと縄文。日本とハワイの原点の心魂。

ハワイと日本は、実は古い時代の精神性がとてもよく似ている。「古い時代」とはいつを指すのかと言われれば、日本においては縄文時代、ハワイではサモアからPā'ao(パーアオ)がハワイに来島する1060年頃以前だと個人的には考えている。
争いがなく平和であり、神と人、人と人、人と自然が調和しながら暮らしていた時代であり、Lōkahiが生活のベースだった時代。
Lōkahi(ローカヒ)とは日本語にすると調和、バランスをとり心をあわせることを意味する。

ここ最近「縄文」というキーワードをよく耳にする。以前にも縄文ブームのようなものはあったが、それは精神的なものではなくファッションや食などの暮らしの中の物質的要素が強かった感じがする。
ハワイに関しても似たような感じを個人的には感じており、ハワイの精神性というよりも、商業的なハワイであったり、フラやサーフィンなどファッショナブルな文化に憧れてハワイを生活に取り入れている人たちが多かった感じがしている。
それが最近になって、縄文やAlohaという言葉は「心のあり方」を中心にしたライフスタイルへと変化してきた感じがしている。
見えるものから見えないものへと人々の意識が重点を移している。
日本にしてもハワイにしても、心の原点には調和的な関係性「Lōkahi」というのが本質的にあるのではないだろうか。
それは他者との関係性だけではなく、自分自身、自然(土地)、目には見えない神々などとの関係性も含まれると思う。

今の世の中を俯瞰してみると、あまりに物質主義(特にお金)に偏りすぎてバランスを崩している部分が顕著に浮き彫りになっている感じがする。それももう限界がきていて本質的、根本的に何かを変えていかなくてはいけない、いっそのことすべて壊して作り直さないといけないところまで来てしまっている感じが個人的にはしている。
私利私欲、無責任、ごまかし、嫉妬…など、調和とは対極の世界を感じ、このままではヤバいと誰もが心の中に感じざるを得ない世の中になってしまったなぁと感じるのは私だけではないと思うのだ。

できることは社会的なことではないと思う。もちろんそれができる人もいるから、それが役割だと感じる人はそうすればいいと思う。
しかし大事なのは私たち個人レベルの意識をより調和的、Lōkahiな意識へと変えていくことのような気がしている。
自分自身に対しても他者に対しても、住んでる家や働いている会社など、自分が関わるすべてのものに愛(Aloha)をもって接することを意識してやっていくことが大事な気がする。
そうは言ってもすぐには変わらないのが人間というものだ。それでもすべてはまず想い(意識)から始まる。あり方、意識が大事なのだ。
まずは自分の内側を見つめ、生活している場をみつめ、関わりのある周りを見つめてみる。
それぞれにおいて調和が取れているか、無理なくできる範囲で調和的にしていくこと。想いが行動になり、ひいては世界が変わっていく。自然と季節が変わるように変化していくのだ。
丁寧に感じ、丁寧に暮らす。思考よりも感じる心を養っていかないと、見えてこない世界、顕現されない世界がある。
きっと縄文時代の人たち、かつてのハワイアンたちは、調和(Lōkahi)というものが心の真ん中にあった波動の高い人たちだったのだろう。還るところはその意識だろうし、きっと世の中はその方向に進んでいくはずだと信じている。

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