心が発するあなた固有の周波数=本音。
今回は「本音」という言葉についてふと感じたことを書いてみる。
というのも、「本音と建前」とか「本音で生きる」とか「本音を伝える」とか、自分らしく生きるということを少し深堀りしていた時に、ふと「なんで音って書くんだ?」って思ったことがきっかけで、正直スルーしても構わないようなどうでもいいことだ。
しかしなんかこの音という文字を使うところに何かヒントが隠されているような感じがして少しだけ(中途半端に)紐解いてみたというわけだ。
本音という言葉の意味を辞書で調べてみると……
ということだ。
1 本来の音色。本当の音色。
本心からいう言葉だけを本音(ほんね)っていうんじゃないのね、と新たな発見をしたわけだが、実は1の意味がもともとあって、そこから転じて2の意味になったんだと思うと、どうして心が音という文字になったのだろうか、と疑問に思う。
で私が思ったのは、実は昔の人って心が発しているものが音(周波数)だということを知っていたのではないか、ということにたどり着いたのだ。
人はそれぞれ独自の周波数を持っていて、それが似たような周波数帯の出来事や環境や人々だと無意識に心惹かれ落ち着きリラックスでき、周波数帯があまりにもかけ離れていると違和感を感じて落ち着かなくなるものだ。
言葉は音だ。自分の周波数に同調して発せられた言葉は何よりまず自分が心地いい。むしろ自分本来の周波数でないものを発していると、相手以前に自分自身が心地よくないのではないだろうか。
本音が言えない環境というのは苦しい。いつまでもそこにいるということは自分が自分に毒を盛って病んでいっているようなものだと感じる。
本音とはあなたの周波数そのものだ。それをごまかしたりすることで自分との繋がりが絶たれていってしまう。あなたらしい音を美しく奏でること、つまり本音を語ることが結果的に自分自身とも他者とも調和を生み出すものだと感じている。
自分が発する音って普段は認識していないけど、言葉や態度そのものが実は音(周波数)なんだって認識していくと本音という言葉も理解しやすい。
本音で語れば語るほど、自分を信じること、自分を愛することに繋がるし、何より健やかに心地よく過ごせるのだ。
今、本音で語れる場が求められている時代な気がする。似たような音を発する人たちが気兼ねなく話せる場。その場を見つけられた人はきっと風の時代にふさわしく軽やかに明るく生きていけるのだろう。私もそんな場(コミュニティ)を作っていきたいと思っている。
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