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リリウオカラニ女王とハワイアンジュエリー。

ハワイ王室とヨーロッパ文化との出会いの中で、ハワイアンジュエリーは生まれた。ハワイ王朝最後の女王リリウオカラニはヴィクトリア女王在位50年の式典の招かれるなど、ヨーロッパ文化と接する機会がたびたびあった。
そこで彼女はみずからハワイ語を刻んだヴィクトリアンスタイルの金のバングルを特別に作らせたのだ。しかし、これはイギリス訪問の折にヴィクトリア女王より下賜されたものであるという説もあるので本当のところはわからないが、これがハワイアンジュエリーの始まりと言われていることは間違いないようだ。

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この有名なブレスレットには、「ホオマナオ・マウ=永遠の思い出」という文字が刻まれ、王位を剥奪された後も一生大切に身に着けていたと言われている。

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リリウオカラニはハワイ王国第8代の女王であり、ハワイ王朝最後の王。在位は1891年1月29日~1893年1月17日。1862年にアメリカ人のジョン・オーウェン・ドミニス(後のオアフ島知事)と結婚していた。
ハワイ王国は立憲君主制となって近代国家の基礎体制を固めつつある中、アメリカ合衆国は軍事力を背景に他民族や国家を積極的に侵略して推進していく、いわゆる帝国主義が強くなっていた。ハワイではアメリカの白人によるサトウキビ・プランテーションが急増し「砂糖貴族」と呼ばれる白人経営者たちの発言力が強くなっていった時代である。
そんな中、ハワイは原住民であるハワイアンの民族意識が高まり、ハワイアンによる王政の強化を求める王政派の動きと、砂糖貴族を中心としたアメリカ併合を目指す共和制派の動きが対立するようになっていったのだ。

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第7代目の王である兄カラカウアが旅先のサンフランシスコで亡くなったことにより、1891年1月29日、53歳で即位。リリウオカラニは、まず王位継承者として姪のカイウラニを指名した。
彼女は兄以上に過激な王政復古主義だったため、米国人勢力との対立は泥沼化していったのだ。しかもハワイの王室財政はカラカウア時代の支出過多もあり、完全に破綻していた。
彼女は即位後すぐに王政派を中心とした組閣をしようとするが、アメリカ人勢力が強かった議会が猛反発した。妥協に妥協を重ねて、米国寄りの組閣を議会が承認したのは、即位後1年10ヶ月もたった1892年11月のことだった。

長い政治危機も一段落したということで、議会は1893年1月14日に閉幕する予定だったが閉会直前の1月13日、リリウオカラニは王政派の議員と共謀してみずから内閣不信任案を提出。
主要メンバー不在の議会においてリリウオカラニは新内閣を組織し、14日には兄のカラカウアが無理やり署名されたベイオネット憲法(銃剣憲法)を破棄した新憲法発布を「新」閣僚に伝えて議会を閉幕するという、ものすごい強硬手段に出たのである。

当然、米国人側がこれに黙っているはずがなく、15日には白人系の公安委員会が市民集会を呼びかけた。ハワイ語新聞は集会への不参加を訴えたが、結局、16日の集会には1000人近くの民衆が集まり、その場で女王の糾弾と米国軍の出動がスティーブンス公使により要請され、イオラニ宮殿がアメリカ海兵隊に包囲されてしまったのだ。
翌17日、最高裁判事であったサンフォード・ドールを首班として政府庁舎を占拠し王政廃止とハワイ暫定政府の成立を宣言。女王に向けて退位を要請するとともに女王を監禁、ハワイ王国は無残な姿で幕を閉じたのである。

その後、ハワイアンによる反対集会が繰り返される中、1894年7月4日にはハワイ共和国が成立。サンフォード・ドールが大統領になるが、1898年、米西戦争をきっかけとしてハワイの軍事拠点としての重要性をアメリカが再認識し、1898年7月、アメリカの領土となりハワイ準州となったのだ。

リリウオカラニ自身は、1895年1月6日に起きた王党派の反乱に協力したとして、また1月16日には私邸とイオラニ宮殿の庭から多くの銃器が見つかったとして、反乱の首謀者として逮捕されて有罪判決が下され、イオラニ宮殿に幽閉されることになった。幽閉されていた時に作ったハワイアンキルトは今でもイオラニ宮殿に大切に保管されている。

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1月22日、反乱で捕えられた約200人の命と引き換えに女王を廃位し、共和国への忠誠と一般市民として静かに余生を送るという書面にサインし、ハワイ王国はカメハメハ大王のハワイ王朝樹立からわずか100年足らずで滅亡したのである。

一般市民となったのち渡米したリリウオカラニはハワイ王家に代々伝えられてきた創世神話『クムリポ』の英文翻訳や、みずからの正当性を訴えた『ハワイの女王によるハワイの物語』を執筆して暮らしていた。

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1898年に帰国したリリウオカラニは1917年11月11日79歳で没するまで、ワシントンプレイスで静かな余生を送っていたと言われている。
光輝くハワイアンジュエリーの裏には壮絶な彼女の人生が隠されている。「ホオマナオ・マウ=永遠の思い出」という文字の重みを感じるのである。

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