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スピリチュアルとは「気づき」である。

今さらこんなことを言うのもナンですが、哲学も、心理学も、天文学も、化学も、数学も、科学も、神秘学も、人間にかかわるすべてのことはスピリチュアルがベースになっているという気がしている。

タイトルの通り、スピリチュアルは「気づき」である(と思う)。

その気づきを探究していった先に、それぞれの学問があるのではないだろうか? 例えれば大きな木の幹がスピリチュアルで、枝葉が学問という感じ。

しかもスピリチュアルは気づきだから、思考の外にあるもの。
スピリチュアルを学ぶという言葉をよく見聞きするけど、結局、スピリチュアルってふとした瞬間に気づくものだったり、感じたりするもので、思考で理解しようとした瞬間に学問になってしまうものなのではないだろうか。

人間はスピリチュアルな存在だ。人間が人間たる所以だ。
それは感じる取るセンサーを持っている生き物だということ。

自然界のメッセージ、人や土地の氣、見えないものの気配。
敏感な人もいれば鈍感な人もいるけど、誰もが持っている感覚。
喜びも悲しみも、寂しさも孤独感も、憎しみも愛も、誰もが感じている。
言葉では言い表すことが難しいあなたの感じているその感覚そのものがスピリチュアルというものの真の正体だと思うのだ。
たまたまそのセンサーが鋭敏で、リアルな実感(つまり五感)で伝えられる人もいるが、感じる感覚、気づく感じそのものがスピリチュアルの本質だ。

すべてのものはスピリチュアルのベースの上に成り立っている。
目には見えない振動に、ふとした瞬間、魂が触れて同調した時、きっとあなたの目醒めはやってくる。それがほんの瞬間だったとしても、その感覚は一生あなたの中で決して消えない「かたちはないがリアルな何か」として、言葉の外に存在するはずである。

世の中が進むにつれてきっと人は思い出していく。

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