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「こだわらない」を身につける。

風の時代の到来と言われ続けてなんだかんだと月日が経った。2020年末のグレートコンジャンクションを起点として、時代が土から風へと移り変わったと、星読みやスピリチュアルな界隈では言われ続けてきた。

あれからひと月。風の時代は始まったが日常生活や私たちの意識の変化はどうだろうか?もちろん、劇的に変化したという人もいるだろうし、何にも変わらないという人もいると思う。
日本人的な習性なのか、あるいは他の国の人たちも同じなのか、なんとなくその時その時のキーワード的な言葉にこだわってしまい、思考の枠組みのようなもの、意識のロックのようなものを作りがちだなとふと感じたのだ。

風の時代だから覚醒しないと、風の時代だから統合に向かわないととか、周りで起きているキーワードに翻弄されて、「ねばならない」意識が芽生えていないだろうかと思ったのだ。

少し話がそれるが、私がかつて会社員だった頃、業績は常に右肩上がりでなくてはならないような社内の風潮があった。
会社がまだ若かったというせいもあるのかも知れないが、常に前年を、前月を上回っていないと叱責されるような環境にいた。ノルマではない、と言われながらも、精神的には常に圧力がかけられストレスを感じていた。自然体でいられない苦しさを感じつつも、疑問を感じつつも、その風潮に流されていた。

21世紀を迎え、風の時代を迎え、ますます「こうでなくてはならない」というものがなくなってきているように思える。私たちの住む地球、自然界を見てみても、あまりこうでなくてはならない、という意識はない気がする。
男だから、女だから、学生だから、社会人だから、という見えない枠組みの破壊、意識の破壊が起きているのが、ここ数年の社会事情だし、風の時代の特徴のひとつのような気がするのだ。

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意識の枠の外の意識。

風はどこにでも吹く。風向きも常に変わる。自由だし、気まぐれだし、枠などない。風の時代だからこうでなくては、という意識も、きっといらない意識なのだと感じている。
自分自身の世界の外で何が起きていようと、流れに身を任せる勇気と覚悟。どこに流れ着こうと決して悪いことなど起こらないという自己信頼。外に向かっていた意識を内側へと向かわせる。
それが結果的に、覚醒だとか統合だとかに自然と流れていくのではないか、そう感じるのだ。

今までの意識の枠の外の意識。

周りの出来事、誰かの言葉、社会の風潮にこだわらないで、常に内側を整えていく。自分自身の気分を管理していく。気分だけではない。からだのコンディションも運動しながら整えていく。
不安や怖れが自分以上に大きくなることなんてあり得ないのだから、絶対的な信頼を持って自分と繋がっていく。

今現実的に変化を余儀なくされている人もいるだろうと思う。私自身も変化を余儀なくされている。今までの意識で考えたら不都合なことが続々と起きている。でもそれは結局、本当の自分へと還っていくために必要な断捨離でもあり、意識改革なのだ。もはやそう信じている、というものでもなく、先の未来は明るいことを知っていて、今は一時的な状況が起きているだけ。
雨は降っていたっていつかは晴れることを誰でも知っているような感覚なのだ。だからこそ、変化に感謝だし、先の未来にワクワクして生きている今がある。

今までの意識にこだわるのはやめよう。ねばならないの意識にこだわるのやめよう。飄々と軽々と風のように変化しながら生きることが心地いいことを学ばせてもらっているギフトのような今なのだ。

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