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自分を見つめるテクニック。

自分を見つめるって、すごく難しい。それはひとりでできる作業じゃない。
言葉だけを見てしまうと、自分ひとりでやる作業のように見えてしまうが、実は他者がいないと自分を真に見つめることなど決してできない。
自分ひとりでやろうとしても、自分が無意識にやってしまうこと、無意識に感じて行動してしまうことには、決して気づくことができないからだ。
意識的に気づける自分の言葉や行動など、見つめて気づけたとしてもそれは木に例えれば枝葉のようなもの。到底、幹にはたどり着けない。
本当に自分を見つめようとすると他者の力が必要になってくるのだ。

しかしそれもまた難しい。
たとえ他者が協力してくれたとしても(実際にかなり協力してくれていることが多い)それを受け容れない、聞き容れない自分がいるのだ。
これこそがなかなか自分を変えることができない最大のトラップだと思う。
無意識は自分ではわからない。
でもそこにこそ、過去の傷があってその傷を無意識にカバーしようとしてしまう言動があり、意識の偏りがある。
それをまた他者に刺激されるから到底受け容れ難く、あの人からひどいことを言われた、という感じになってしまうのだ。

本当に自分を見つめる作業は容易じゃない。
痛いこと、傷つくこと、受け容れ難い屈辱的なことを、いったん、そうかもしれない、そういうところがあるのかもしれない、と受け容れないと始まらないからだ。
自分を見つめるテクニックは、相手がどんな人であっても素直にその言葉をいったん受け止める、ということだと思う。それが多くの人に言われるなら実際にそうなんだろうし、その人からしか言われないのであれば、それはまた違う問題があるのかもしれない。
距離が近い人ほど接触頻度は高いだろうし、様々な自分を見せているはず。
親はかなりバイアスがかかって見ているから何とも言えないが、兄弟姉妹や身近な友達、パートナーといったあまり上下関係がない相手のほうが、無意識の自分を見てくれている可能性は高いと思う。あるいはもし自分より立場や年齢が低い人の意見を受け容れられるなら(例えば、部下→上司、後輩→先輩、子供→親、弟(妹)→兄(姉)、年下→年上など)なおいいと思う。

受け容れ難いことを言われた時こそ、真の自分を見つめるチャンスだ。
とは言え、かなり難易度は高い。経験上、自分を見つめることってかなりしんどいことだ。
なんでお前に言われなくちゃいけないんだ?いったい誰に向かって言ってるんだ?そんなことあなたに言われたくない!そういう感情が必ずと言っていいほど浮かんでくる。でも自分を、自分の波動を変えていって、さらに自分自身を磨いていきたいと思うなら、取り組んだほうがいい課題だと思う。
それが何歳であろうと、未来の自分のために、より素晴らしい世界に移行するために、真の自分になるために、必要なことだと感じている。

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