ガザから救出された拉致被害者 カイス・ファルハン アルカーディの証言
去年10月7日早朝、ガザからハマス戦闘員(テロリスト)を中心にイスラエル領土へ侵入し、地域の住民や野外フェスに参加していた若者たちを約1200人殺害した。そして0歳児を含む子供、女性、老人、外国籍を含んだ250人がガザに拉致された。この事件から現在進行中のガザ戦争が勃発した。
イスラエル国家は二つの目標をこの戦争で掲げた。一つは、すべての拉致被害者をイスラエルに連れ戻すこと(以前に拘束された4名を含め)二つ目はこの計画を立案したハマス組織を2度とこのような攻撃をさせないために壊滅させること、だった。
以来この戦争は現在まで続き、ハマスと同盟関係のあるレバノンのヒズボラ組織、イエメンのフーシ派、そしてイラン国家と拡大して行った。この状況はこの土地に住んでいるすべての人々(アラブ人・ユダヤ人関係なく)の生活に大きな影響を与えている。すべての住民はこの状況をを憂慮しているが、同時に日常生活を必死に継続しようとしている。
イスラエル国民にとって、この戦争で一番の心配事はガザに拉致された254人の安否だ(4名は戦争以前に拘束された人々)。人々はまるで自分の家族に起こった出来事のように感じている。なぜなら拉致された人々はユダヤ人やイスラエル国籍者だけではなく、そこにいたアラブ人や外国人も含まれている。ハマスの標的はイスラエルという国家を認める全ての人々が敵だった。
11月末、外交交渉が一度だけ成立して拉致被害者の一部が解放された。また軍事作戦の中で8人の拉致被害者がイスラエル国防軍によって救出された。しかし遺体で戻ってきた人々も27体。まもなく一年になる現在でもその後の拉致解放交渉は進まず、101人がガザのどこかにハマスによって拘束されたままだ。そのうち35名はすでに亡くなっていると考えらている。またこの戦争によって700名以上の兵士たちが命を落としている。イスラエル国家にとっても近年稀に見る死の大惨事だ。
だからこそ国民は、生きて戻ってきた人々に対して喜び迎え入れる。8月27日にIDFにより救出された人物は、カイス・ファルハン アルカーディというパレスチナ系アラブ人でネゲブ砂漠のベドウィン(遊牧民)出身者だった。
ファルハンは拉致された10月7日、職場のガザ近郊にあるキブツの警備室にいた。早朝6時、ガザからミサイル攻撃が始まりファルハンは、いつものようにシェルターに入れば終わると思ったそうだ。そして外に出ると、そこには武装したハマス戦闘員(テロリスト)がたくさんいた。彼は両手をあげ、アラビア語で自分の名を名乗った。テロリストはファルハンにユダヤ人はどこにいるのか聞いてそうだ。ファルハンは「共に働くキブツのメンバーは家族のようなものだから教えなかった」と証言している。そして自分はただの労働者だと言って知らないふりをしたそうだ。しかしテロリストは彼を殴り、足を銃で撃ち抜いた。そしてファルハンは車に乗せられガザに連れて行かれた。
カザでは最初はキブツで働く外国人労働者のタイ人と一緒の部屋に監禁された。しかし撃たれた足の負傷で2日後ハーンユニスのナーセル病院には運ばれ麻酔なしで治療を受けた。その後キブツ・ニールオズから拉致されたユダヤ人の患者アリエ・ザルマンと一緒の部屋に拘禁された。最高齢(85)で拉致されたアリエの健康状態はとても悪く、2週間一緒にいたファルハンに毎日遺言のように日々の生活への慕情と家族へのメッセージを託したという。
ファルハンはアリエを励ましたが、持病が悪化して亡くなった。この時ハマス党員はファルハンをアリエの遺体の前に座らせ、カメラの前でイスラエル政府批判をするように強要したそうだ。ファルハンはそれを拒否し、最終的にハマスはアリエの遺体だけを公開してイスラエル社会を揺さぶった。その後ファルハンは病院から連れ出され、ラファの破壊された建物から地下トンネルに連れて行かれた。その深いトンネルの中で、数名のハマス監視員に監視されながらその後1人で8ヶ月間を過ごした。そこは時間を潰すものは何もなく、コーランと暗闇だけだったという。
自宅に帰宅したファルハンはイスラエル人記者のインタビューでなぜ、監視員と会話をしなかったのかと聞かれた。ファルハンの温和な表情は険しい表情に変わった。そして「彼らにとって自分はユダヤ人以上に悪い人物なんだ、私は裏切り者なんだ、それが証拠に足を撃たれた。その理由はユダヤ人を守ったからだ」と言った。
ファルハンは8ヶ月間ラファの暗いトンネルの中で、1人で家族を想像しながら過ごしたそうだ。希望を保つことは困難だが、イスラム教徒として神を信じて耐えたそうだ。そして8月半ば、イスラエル国防軍が付近に行きた時、ハマス監視員は罠を仕掛けて、ファルハンを1人置き去りにして逃げていった。ファルハンはヘブライ語が聞こえ、兵士たちが近づいてきた時に罠があることを伝え、兵士たちはそれを避けながらファルハンを救出した。ヘリに乗るファルハンと彼の安否を気遣う兵士たちの様子を写真で見ると、ともに命をかけて助け合ったものの信頼感がある。
ファルハンがべエル・シェバの病院にヘリで運ばれることを知らされた家族たちは、病院の中を駆け抜けてファルハンを迎えた。ソロカ病院のユダヤ人医師の診断では、体重は激減していたが、それ以外は身体的に大きな問題ないということで、2日後ファルハンは退院して自宅に戻った。
多くのイスラエル人がファルハンの救出を喜んだ。そしてIDFの対応も病院の対応も、それまでに救出されたユダヤ人拉致被害者と一切変わることはなかった。ファルハンはその後自宅での記者会見で、ヘブライ語とアラビア語で、「自分はイスラエル国民であり、パレスチナ人であること、この戦争で双方に大きな被害者が出ておりもう十分だ、拉致された人々を家族に帰すべきだ」と語った。「家族から強制的に引き離されるのはユダヤ人もアラブ人も関係なくとても酷いことだ」と話した。
戦争は間もなく一年が経ち、双方に莫大な被害者が出ている。そして戦争地域は拡大していく様相を見せている。これだけの被害の後に、人々が望むのは2度とこのような争いを起こさない政治的枠組みの必要性だ。現在イスラエル国内のユダヤ人とアラブ人は共闘し始めた。
**こちらのインタビューを元に構成
*イスラエル社会のユダヤ人とパレスチナ人の共生ムーブメント
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