ハンド・イン・ハンド(HIH)エルサレム校訪問 ユダヤ・アラブ共存教育の現場


筆者と娘、恵伝

「娘をここで学ばせたい」
6月 25 日、松村さんと共にエルサレムのハンド・イン・ハンド事務局と学校を訪問しました。今回の訪問目的は次の2点でした。
1、ハンド・イン・ハンドの活動にユダヤ・アラブ青尐年共学共存日イ支援会がどのように寄与できるのか。
2、私個人が娘をこの学校で学ばせたいので様子を聞きたい。

学校の基本教育方針に賛同
私がなぜこの学校で自分の子供を学ばせたいと思うようになったかと言いますと、学校の方針が、まずヘブライ語とアラビア語の2カ国語を基本としていること、そして他の宗教や文化を理解促進する教育に力点を置いているからです。

私の娘、恵伝(エデン)は現在2歳5カ月。モロッコ系ユダヤ人の流れを持つ父と日本人の母の間に生まれました。生まれた時から日本語、ヘブライ語が家で飛び交い、父方の祖父母の家ではアラビア語で歌われるモロッコの音楽にのって祖母と一緒に踊ります。そんな環境のためか、他の言語を話している子どもと公園であっても躊躇せず一緒になって遊んでいます。 公園で仲良くなった子はナセルというナザレ出身のアラブ人学生の息子さんで,会うとよく遊んでいました。またある時、大学でアラブ学生のお祭りがあり、アラブ音楽が聞こえてくると、そちらに吸い寄せられるように行きたがったこともあります。2歳という年齢では、まだコミュニケーションの手段は言語だけでなく、それ以外にも意志疎通を成り立たせるものがあるのでしょう。

親同士の接し方も重要であることは、もちろん言うまでもありません。私自身、どんなに英語の得意なユダヤ系イスラエル人でもヘブライ語で話すと相手が和むのを感じます。東エルサレムの旧市街などで買い物をする時、ヘブライ語で聞くと店のアラブ人が一瞬冷たくなることを何度か経験しました。逆につたないアラビア語で話すととても喜ばれます。この国では公用語はヘブライ語とアラビア語と謳われていますが、実際は2国語間に平等のバランスはありません。アラブ人はアラビア語とヘブライ語が両方話せても、ユダヤ人はヘブライ語・英語という場合が多いからです。またアラブ人と共にいると会話はアラビア語になり、理解できない私は会話に入れず寂しい思いをします。

また、他文化理解にしても,実際にそれぞれの家のしきたりは知っていても、他の家で何をどう祝い、どの暦で動いているのか実はお互い知りません。例えばイスラエルのキリスト教徒の間では、なぜクリスマスは3回あるのか,またユダヤ教にはなぜたくさん休日があるのか,イスラム教徒はラマダン月にどうして断食するのかも、それぞれ異教徒は知らないのです。ここでは長い間隣人との関係は「当たらず触らず」でした。

ある時、夫が日本ではいろいろな所で「異文化理解」といわれるが、これは大変すばらしいことだと言いました。確かにこの国ではたくさんの他文化が併存していますが,それを理解するという積極的行動は行われていないように思います。

このような理由から、このハンド・イン・ハンドの教育方針に興味を持った訳です。娘が将来大きくなった時,他の文化や隣人の言葉を理解し、お互いの祝日に訪問し合える関係を築けたらと思っています。

百聞一見にしかず
実際、事務局でいろいろと学校の様子を伺っていたところ,担当のイラ氏が、実際に見た方が早いということで学校に案内してくれました。エルサレム校は昨年海外からの寄付で新築校舎が完成し,とてもきれいです。子供たちも新しい校舎で嬉しそうに遊んでいました。最初に娘の年齢に近い幼児クラスから見せてもらいました。ここでは7月初日から夏休みに入るので,年度末の「さよならパーティー」を準備していました。他の保育園と異なる所は,親たちが学校の催しに積極的に参加していることです。子どもは学校で自然にアラビア語を知っても、親たちはできないのです。そこで、親のためのアラビア語教室もやっているとイラ氏が話してくれました。このことによって、子どもだけではなく親たちにも共存のための教育を受けることになっていると言っていました。

2年生の音楽のクラスを見学すると、アジア系の女の子がいました。彼女は私たちを見るとまっすぐにやって来て、中国語で話しかけてきました。私はヘブライ語で「私は日本人で、中国語が理解できなくてごめんね」と言うと、彼女はすかさず片言の日本語で「こんにちは」と言ってくれました。彼女はすでに立派な国際人であり、異文化共存を体現していると思いました。

今回の訪問で,実際に学校の雰囲気を肌で感じることができ、生徒や先生たちが楽しそうに過ごしている情景を見ました。そして娘をここで学ばせてみたいと思う気持ちがさらに強くなりました。(2009)

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