利己的なベジタリアン
最近のトレンドもあってか、私の周りにはベジタリアンが多い。そしてその理由を聞くと、自分自身の健康を気遣って、という側面もあるけど、どちらかというと、自分の主義としての”思想的”なベジタリアンな傾向が強いように思う。(そう見えるだけかもしれないけれど。)
私自身、食べられないもの(食べられないものリスト)が多すぎるので、たんぱく質を取ろうとする時、お肉や魚などの動物性より、豆などの植物性たんぱく質の方が、汚染や加工やいろんなことを気にせずに済むので、幾分か気楽だ。漢方医からも「(食生活に)迷ったらベジタリアン。」と言うくらい、アレルギーととても親和性がある。
そういう、自分の体の都合上たまにベジタリアン、という選択をしている立場からすると、自分の主義として選択している立場はとても眩しく見える。
・牛の出すメタンガスが環境に悪いから… ・家畜の放牧地や飼料の確保が環境汚染につながる… ・畜産が食糧問題につながる… ・食肉の加工が倫理的に問題がある… ・動物愛護の観点から…
などなど、私の周りにいる人たちからは、そういう意見を聞く。
私がもし、何のアレルギーもなく、市販の製品が何でも使えたら…
きっと立ち止まることなく、お肉やジャンクな食品を好んだろうし、健康を害する前に自制出来るのか、自信はない。
そういう自分のダメダメさを自覚しつつも、年々脚光を浴びるベジタリアン・健康志向の勢いの中、健康意識高い人のくくりに入れられるのが、ちょっと気恥ずかしいのだろう。
誰も気にしていないのに、私は自分のアレルギーの都合上、どちらかというと消極的に、利己的にベジタリアンを選択してるだけですから、と言い訳したくなる。
これは関西特有の”ええかっこしい”を恐れる風土からだろうか…
そういえば10年ほど前、仲間たちとエコロジーイベント(アースディ神戸の前身)を立ち上げた時にもそれを感じたことがある。
イベント立ち上げのきっかけは、東京のエコロジー・エシカルな商材を扱うメーカーさんたちに、関西の商圏が関東に比べて小さすぎるのを何とかしてくれないか、というぼやきから。当時の東京はすでに駅チカでオーガニックコーヒーが飲めるほどだったけど、大阪ではエコバッグの普及さえ怪しいほどだった。
そんな大げさなことを、自分たちで何とか出来るとも思ってもいなかったのだけれども、バタフライ効果くらい、何かの足しになればいいか、くらいに気楽に始めた。
結果的に、そのイベントは当事者の誰の予想よりも盛り上がり、その流れが発展して、今では1万人を超える規模のイベントになっているらしい。
そのイベントを考えていた時、東京と大阪の違いとは何か…とたくさん議論した。そして、その一つ、エコが大阪に根付かないのは、”ええかっこしい”やと思われたくないんちゃうか、ということ。
ならば、打ち出し方を、変えよう、と。
東京アースディはほんとカッコ良く、アーティストも一緒になって、地球を!環境を!とやってたけれど、あえてそれを全面に出すのではなく、お祭り推しにしよう。美味しいもの食べにきたついでに、気がついたら体や環境に良いものに囲まれてた、出会ってたみたいなのにしよう、と。そしてまず企画・主催する自分たちが楽しもう、と。
なので、初回は商店街の人巻き込んだり、地元のBarで飲み歩くついでに集客したり、だいぶ地元カラーが強く、東京勢からも濃い大阪ノリが逆に新鮮だ、と好評だった。
話をまとめると、つまり私は、周りから思われているほど、元は全然健康意識の高い人間性でもないけれど、縁あって(というか強制的に)、超健康的なものを選ぶ食生活、某世界的なモデルと日々の献立がかぶってたりする食生活に偶然なっていることを、開き直ろうと思う。
生粋の意識高い人たちに並ぶこと、利己的なベジタリアンというスタンスに引け目を感じることなく、意識高くないところからの発想から、存分に不便なアレルギー暮らしを語ろう。
もはや、それは何のためにやるのかさえも分からないけれど、先のバタフライ効果、ほんの小さな羽ばたきから、何か大きな流れになるのかもしれない。
アレルギーの私たちが困らなくて良い食生活・環境への何かに、発展していくのかもしれない、とまずは気楽に信じてみるとこから始めてみようか。
そして、そんな仲間が集まったら、また何かイベントでもやってみようか。
いつも応援ありがとうございます♡